第96話

📖88.過去~ポートマフィア編~11.3話

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2024/01/16 15:00

手応（てごた）えのない青黒い闇の中に、「　　」はいた。

上も下も、前も後ろもなかった。

時間の流れすら曖昧（あいまい）だった。

自分が何者で、何（な）故（ぜ）そこにいるのか「　　」には判（わか）らなかった。

そこは静かだった。

井（い）戸（ど）の底のような、あるいは嵐（あらし）が頭上を通り過ぎる海中のような沈黙（ちんもく）で満たされていた。

「　　」はねばつく青黒い闇に囲まれていた。重い闇だった。

闇の向こうに、透明（とうめい）な壁（かべ）が見えた。

それが自分を取り囲んでいた。

封印（ふういん）だ、と「　　」は感じた。

もっとも、そのような言葉を知っていたわけではない。

「　　」は言葉を知らなかった。

何故なら「　　」は、人間ではなかったから。

だから明確な言葉としてではなく、その前段階に当たる概念（がいねん）として、「　　」はその透明な壁を感じ取っていた。

透明で、ぶ厚く、自分を取り囲む封印。

強固な約束のような確かさで、自分を外界から隔（へだ）てる壁。

その向こうに、時折何かがちらついた。

右から左へ、また左から右へ。

それは封印の向こうを往来する人影（ひとかげ）だったが、「　　」はまだニンゲンという概念を知らなかった。

こちらを覗（のぞ）き込む人影があり、足早に通り過ぎる人影があり、何かを訴（うった）えかけるように立ち止まる人影があった。

だがどの人影も、封印によって遠く隔てられていた。

世界の果てを望遠鏡で覗いているような気分だった。

その封印が＿＿ある日破られた。

神域が破壊（はかい）され、闇が穢（けが）され、外界が侵入（しんにゅう）してきた。

何者かが「　　」を呼び出したのだ。

嵐にも似た猛烈（もうれつ）な感情が叩（たた）きつけられ、「　　」は喘（あえ）いだ。

溺（おぼ）れるかと思った。

外界になど興味はなかった。

だが外界はそれを許さなかった。

力強い男の手が、「　　」を掴んだ。

触（ふ）れた部分から、赤黒い炎（ほのお）が噴出（ふんしゅつ）した。

それは産声（うぶごえ）だった。

誕生するものは、それまでに持っていたものを捨てなければならない。

「　　」は忘却（ぼうきゃく）した。

かつての自分が何であったのかを。

闇の中で何を感じていたのかを。

穏（おだ）やかな青黒い闇。

優（やさ）しき孤独（こどく）。

それはもはや、自分を守ってくれない。

産声が外界を満たした。

それは炎の形を取った。

そして怒（いか）りの炎が、地上の見（み）渡（わた）す限りのものを破壊し、粉砕（ふんさい）し、焼き尽（つ）くした。

そうして＿＿「　　」は誕生した。