第32話

5章4節 何処にも飛べない者達
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2025/03/02 02:16 更新
新武装の性能実験を兼ねていた事もあり、開発部長であるファクトアにはあまり時間をおかずに、レティステラでの戦闘報告がなされた。
ファクトア
…用があるんだろう?
開発部のデスクでパソコンを操作し、実験の結果を書き連ねていくファクトアは、腕を組み壁に寄り掛かって自身を見つめるインセントに、目線を動かす事無く問う。
インセント
今回の件で、アレらに利用価値は無いと分かったんじゃないか?
最低限の作業が出来る程度の明るさの中に、インセントの冷たい声が響く。
ファクトア
そうだな…短時間で全て落とされて、実験にすらならなかった。
ファクトア
わざわざ"緊急用の措置"を取ってまでこだわる必要は、全く無かったな。
今しがた自分で打ち込んだ、文字数の少な過ぎるレポートを、落胆の目で見ながら言う。
インセント
ならば、邪魔なモノは消してしまえば良いだろう。
彼女の力の抜けた目線に、インセントは食い付くように言葉を被せる。
ファクトア
…やっと言い出してくれたか、待ち望んでいたぞ。
少しも間をおかず、ファクトアはインセントに同意した。
インセント
決まりだな…同志は私が集める、武器の方を頼んだぞ。
変わらず瞳には冷たさが宿るものの、彼の態度には喜びに似た感情が僅かにある。
ファクトア
了解…この行動が、国の未来のためにならん事を。
インセント
…"革命"の狼煙のろしは、今上げられた。
日光がカーテンによって遮られ、まだ朝と言える時間帯にも関わらず、手元を照らす明かり以外の無い部屋で、国を揺るがす事態は幕を開け始める。
そして時間は過ぎ、太陽が南の空を通る頃。
中央総本部の廊下を、聞くだけで怒っていると分かる独特な足音を出して、メトロームは歩いていた。
メトローム
ショックなのは分かるが、俺に事後報告を全部押し付けるとはな…。
北部基地での後処理を完了し、夜を移動に費やして中央まで戻って来たネルエルとメトロームを迎えた、アルミューレの訃報。
睡眠不足と疲労に侵された頭に、その耳を疑いたくなる報告は、尋常ではない衝撃を与えた。
ネルエルは残っていた仕事の詳細も聞かず、今は部屋に一人閉じ籠もっている。
メトローム
…さて。
どんな説教をしようか考えながら、自室の__正確には自分とネルエルの部屋の__扉を開ける。
ネルエル
…っ!?
ネルエルはベットの上で毛布を被り、顔すらも見えない。
メトローム
言いたい事はいくつかあるが、まず__
ネルエル
だ…誰だっお前は・・・・・…!?
メトローム
あ…?
普段の彼とは似ても似つかない話し方に、メトロームは目を見開く。
怒りを言葉にしようとした口も、止まってしまう。
ネルエル
何で部外者がここに・・・・・・・・・さっさと出ていけよ・・・・・・・・・!
話し方は勿論、声の調子や仕草に至るまで、何もかもが違う。
明らかに異常がある。
メトローム
…忘れるなと何度…!
だがメトロームの驚きは即座に収まり、先程とは"別の事"に対する怒りを持っている。
わめき散らすネルエルから視線を外し、二つのベットの間にある棚の引き出しから、1錠の薬を取り出した。
同じ棚の別の引き出しから、水の入ったアルミ缶を取りプルタブを片手で開ける。
左手にそれら二つを持ったまま、ネルエルに近付き胸倉を掴んだ。
ネルエル
っ…何するんだ!
メトローム
黙れ、お前の不注意のせいで俺の苦労は増えるばかりなんだよ…!
振り解こうと余計に暴れるネルエルを押し倒し、メトロームは薬と水を無理やり口に入れさせる。
ネルエル
あ゙っ…がぁ…!?
乱暴に押し込まれた薬を水で飲み込むが、下手に動いたために酷く咳込む事になった。
メトローム
…。
喉を痛めるのではないかと思うほど咳をし、震えながら床にうずくまるネルエルを心配する事もせず、メトロームは一つ舌打ちをしてから廊下に出ようとする。
ネルエル
メ、トロー…ム…。
助けを求める視線を感じ、メトロームは足を止める。
メトローム
薬の予備を貰いに行くだけだ…問題が無いならそこで蹲り続けてろ。
潤む瞳から目を逸らし、静止の声も振り切って部屋を出て行く。
薬の予備を貰いに行くと言っても、向かうのは医務室などではない。
そもそも彼に処方されている薬は特別製で、そんな所には置いておけない。
では何処に受け取りに行くのかと言えば、特昇兵隊長ベルナの部屋である。
総帥から安全性を担保されており、勝手に持ち出される事もない。
メトローム
…隊長、今宜しいでしょうか。
出来る限り響くようにノックをして、ベルナを呼ぶ。
数時間前に西部から帰還したというのは聞いているが、休息を邪魔する事は気が引けるため、様子を探ってから扉を開けようと考えた。
ベルナ
いいぞ、入ってこい。
しかし探りも不必要だと思えるほど早く返事がされ、扉も内側から開けられる。
メトローム
失礼します…。
異様な緊張を覚えつつ足を踏み入れたメトロームは、自分にはその素晴らしさをどうも理解出来ない、おごそかなかおりを感じ取った。
メトローム
紅茶…ですか。
部屋の中央のテーブルに目を向け、ティーカップが"二つ"ある事を不思議に思いながら聞く。
ベルナ
あぁ…今日は普段より多く淹れた、お前も飲むか?
メトローム
良いんですか?
ベルナ
わざわざ訪れて、物を受け取るだけというのはつまらないだろう。
メトローム
…そうですね、いただきます。
初めから二人居る事を想定していたのか、これも二つ用意されている椅子の内の一つに着席を促される。
メトロームの向かいの席に座ると思っていたベルナは、腰を下ろす前に自分のカップをしまい、新しい物を棚から取り出して置く。
メトローム
…?
疑問を紡ごうとしたがカップに紅茶を注がれ、無言の圧力をかけられ黙ってしまう。
なるべく音を立てないように注意し、一口すする。
こういう嗜好品の教養が無いメトロームには、美味である事は分かってもその良さは分からない。
メトローム
…貴方は、こんな状況であっても変わらないのですね。
飲めているのか判断出来ないほどの小さな一口を、目を閉じて存分に味わうベルナに対し、思わず本音を漏らしてしまう。
失言に気付き訂正しようと言い訳を考えるが、思い付くより先にベルナは答える。
ベルナ
…彼奴が死んだという事実には、少しも"興味"が無いからな。
ベルナ
ただ…とむらいをする気はあるさ、私なりのだが。
様々な理由の驚愕に手と口を止めるメトロームを余所よそに、言葉は続いていく。
ベルナ
曲がりなりにも、6年近く仲間だったんだ…何も感じていない訳ではない。
ベルナ
一度くらい、こうやって茶にでも誘っておくべきだったと思っている。
メトローム
…だから、二人分用意していたんですね。
ベルナ
そういう事だ。
会話を辞めて茶の世界に舞い戻るベルナを目で追いながら、メトロームは考える。
「この人は、感情が出ないだけなのだ」と。
閉ざされている心の内が、この刹那に垣間見えた。
ベルナ
しかし…ネルエルの状態は思わしくないな。
その台詞のおかげで、メトロームは忘れかけていた訪問の理由を思い出す。
ベルナ
薬の投与が必須だというのに、本人がそれを管理出来ないのは難儀なものだ。
もう落ち着きを取り戻している頃だと思うが、だからと言って急ぐ必要は無いので、新たな話題に乗ってみる。
メトローム
…どれだけ言っても"症状"が出るまで放置してますし、誰か…自分が常に見ていないと。
メトローム
彼奴のあの発作…国境街に居た頃にされた、人体実験が原因だと聞いているのですが…。
ベルナ
こちらが分かっているのもその程度だ、本人が説明出来る筈もなく…調査もされていない。
メトローム
そう、ですよね…。
結局付き合い続けるしかないのかと、メトロームは心底面倒そうに溜め息をつく。
紅茶の残りも少なくなり、簡易的な茶会の終わりが見えてくる。
ベルナ
…そろそろいい時間だろう、彼奴が大人しくしていれば良いが、そうとも限らないぞ?
メトロームに退出を勧めつつ、ベルナは席を立って棚に向かい、食器類が入っているのとは別の戸を開ける。
そこから錠剤の束を取り、すでに席から離れたメトロームへ渡す。
メトローム
ありがとうございます…それでは、失礼致します。
受け取った薬をポケットに入れ、敬礼をしてからベルナの部屋を後にする。
ベンシュトゥル軍人
【紅彩の傷】…開発部長より、【黄雷の射手】と共に総合指令室に来るよう要請されています。
自室へと戻るため廊下を歩いていると、珍しく一般兵から声を掛けられた。
一般兵が特昇兵を名前で呼ぶ事は無い、それぞれに与えられたブローチから付けられた異名を使う。
それは、特昇兵は名前を使って呼ぶような存在ではないという、異質な共通認識によるものだろう。
メトローム
え、あ…理由については?
ベンシュトゥル軍人
特に何も。それでは、自分は他の仕事がありますので。
無礼極まりないと言える雑な対応をし、その兵士は去っていく。
メトローム
…これも、いつもの事か。
そんな不条理を受け入れて、また自室への道を歩き始める。
メトロームが扉を開けると、静かにベットに腰掛けていたネルエルが寄ってきた。
ネルエル
おかえり。
陽気さが無いように見えるが、寧ろ普段よりずっとぎょしやすく、メトロームは嬉しさすら感じる。
メトローム
さすがにもう大丈夫だったか。
ネルエル
うんうん、ぼくはいつも通りだよー。
メトローム
…呼び出しを受けている、総合指令室だ。
神経を苛立たせる狂った明るさが戻る前に、用件を伝えてしまおうと早口になる。
ネルエル
んーなんだろね、まぁ了解。
即座に了承しメトロームを待つ事もせず、袖を引っ張って引きろうとする。
メトローム
お前な…。
その行動は当然のごとくメトロームを苛立たせ、"いつも通り"の光景となった。
東部支部の建物内には、通常ならば鍵が開けられる事も無い、特殊な部屋が存在する。
その部屋の外の壁には、"霊安室"と書かれた札が付いており、使用されない理由を物語っている。
しかし今この部屋は開放され、四肢の先だけが無い遺体が置かれていた。
アノア
…。
アノアは遺体の顔が見えるよう椅子に座り、後ろに立つシニィとアンジェルの視線を、背中に受けている。
彼の髪と服は、助からないとは分かっていながらも、アルミューレを抱え応急処置をしようとした事で、元の色をたがえそうになるほどに赤く染まっている。
シニィ
アノア…。
三十分は同じ姿勢のまま動かない彼を慮り、シニィは声を出す。
アノア
どうして僕は今…こんなに悲しんでるんだろ。
アノア
今まで何十人、いや何千人と殺してきて…その度にこんな風に身体を赤く染めてきた。
俯く彼の声はかすれ、涙を流さずに泣いている。
アノア
こんな僕には…悲しむ資格も無いはずなのに。
シニィ
…そんな、事は…。
どんな慰めの言葉も、彼には届かないのではないかと、彼女は思う。
それでも声に出てしまうのは、自分に出来る事を模索し続けているからだろうか。
アンジェル
…それで?君はどうしたい?
状況をわきまえず厳しい言葉をかけるアンジェルに、シニィは怒りにも似た眼差しを向ける。
アンジェル
シニィ…今だけはそっとしておこうなんて考えは、甘い。
頭は動かさず前を見たまま、自分に向けられた視線へ返事をする。
アンジェル
相手が犠牲もいとわない方針だと分かった今、立ち止まってはいられないの。
シニィ
…。
その台詞に共感出来てしまい、引き下がるしかなくなった。
アノア
全ては助けられなかった以上…諦めるという選択は出来ませんよ。
アノアは立ち上がり、二人の方を向いて懇願する。
アノア
この"戦争"が終わるまで、僕は戦い続けたいです。
悲しみに暮れていた瞳は今や、覚悟に満ちている。
戦争が終わるまで…それはどちらかが勝つまでではない。
かつての・・・・仲間達を、助けられるまで。
そこが彼にとっての、戦いの終わり。
アンジェル
言ったね…なら、やれるだけやってもらうよ?
アノア
望む所です。
アノアの言葉を聞き、アンジェルは笑みを零す。
話の外に追いやられていたシニィも、アノアが持ち直した事を悟り、遅れて笑顔になる。
アンジェル
まぁ…準備とかよりも先に、君は着替えと風呂だね。
霊安室を出てすぐ、アンジェルはアノアの格好を見て言った。
アンジェル
その状態で歩き回られるのは、職員の精神衛生上よろしく無い。
アノア
じゃあ、このまま大浴場に…。
シニィ
あっ待って…この時間帯は掃除が入ってるかも、私見てくるよ。
アノア
ありがとう、ここで待ってて良い?
シニィ
うん、任せて。
元気良く承諾し、つい先程までの雰囲気を忘れられそうな微笑ほほえみを見せて、シニィは走っていく。
二人だけの妙に張り詰めた空気を嫌い、アノアは以前から思っていた事を、口にしてみることにした。
アノア
…怒られそうな事を、言っても良いですか?
アンジェル
怒られる気があるなら、どうぞ。
アノア
部長って、総帥…クトゥルトさんに似ていますよね。
アンジェル
ん…!?
信じられない事を聞いたという様に、アンジェルは目を見開く。
アンジェル
具体的に…どの辺り?
恐る恐る詳細を問うアンジェルの仕草に驚きつつも、アノアはその質問に答える。
アノア
本心を隠して、無理やり表情を作ってでも…導いてくれるところが。
アンジェル
…あぁ。
納得をし、頷いて続きを促す。
アノア
一番辛いのは自分の筈なのに、総帥はいつも笑顔を絶やさなかった…。
アノア
厳しい言葉で前を向かせて、優しく手を引いてくれる貴方が、それに近い様に感じたんです。
アンジェル
そっか…あの人はまだ、無理をしながら笑ってるのか。
アンジェルはまぶたを閉じ、感傷に浸る。
およそ25年前、まだ赤子だった自分に笑いかけてくれた、彼の事を思い出して。
アンジェル
時間が経っても…本心は変わらないものだね。
アンジェル
ますます、あの人にもう一度会いたくなったよ。
ほんの一時の想いが、今に繋がる。
アンジェルはそれを身をもって実感している。
アノアが入浴と着替えを終え、気を引き締め直して、戦いへの調整を進めている頃。
まだ薫りの残る自室で、ベルナは一人物思いにふけっていた。
ベルナ
奴等ヤツらなら、必ず行動を起こすだろうな。
誰も聴いていないのを良い事に、堂々と独りごちる。
そして紅茶を淹れるのに使い、まだ少し中身が入っている電気ケトルを持ち、何故か蓋を開けた。
ベルナ
…。
蓋をテーブルの上に置き、息を殺して扉に近付く。
音を出さずにドアノブに触れ、一瞬の間に回して扉を開ける。
体重を預けていた物が突如として無くなり、扉に張り付いていた者・・・・・・・・・・が中へと倒れ込んできた。
ベンシュトゥル軍人
…んなっ!?
顔で着地した哀れな兵士に、ベルナは無言でケトルの中身を浴びせる。
ベンシュトゥル軍人
がっ…!?
悲鳴を上げる暇もなく、まだ熱を帯びている湯が肌を焼いた。
ベルナ
…おい。
もだえる兵士の頭を掴み、ベルナは強制的に目線を合わせる。
ベルナ
何のために、誰の命で、そこに居た。
ベンシュトゥル軍人
こ、た…えると、思うの…か。
熱による痛みに耐えながら、兵士はさげすむような目でベルナを見る。
ベルナ
それならば…全て吐いてもらうだけだ、今は"非常時"と言えるだろう?
…心の底からベルナを見下していた兵士が、情けを希求する事になるとは、想像出来た者は居ない。
ベルナ
…ここまで予想通りでは、恐怖すら覚えるな。
形容したくも無い光景を作り上げ、なんとか呼吸だけは続ける兵士を床に放り投げて、ベルナは総帥室へと向かっていった。
それより少し前、総合指令室に到着したメトローム達は、呼ばれた理由を否応なしに察せられていた。
ファクトア
以前から疑問だったんだ…どうして君達のような実験道具より価値の無い存在が、国と国民を守る軍人を名乗っているのか…とね。
メトロームとネルエルに銃を突き付ける、ざっと数えて二十は居る兵士達に守られながら、"枷の起爆装置"を持つファクトアは言う。
メトローム
貴様らっ…!
入室すると同時に銃を向けられ、数の暴力には抗えず、両手足首に枷を付けられたメトロームは、周りの人間全員を睨みつける。
ファクトア
あぁそうだ…これも聞きたい、どうして君達は生きたいと願うんだ?
ファクトア
"人でなし"という言葉が、比類するものの無いほど似合う君達が…。
ネルエル
ひどいなぁ、ぼくたちはヘンナ所で生まれただけなのに。
日頃笑顔を振り撒いてばかりいるネルエルですら、ファクトアに対しては怒りを覚えている。
だがこの場において、どちらの意見が多数派であるか、どちらの意見が支持されるかは、問うまでもなく明らかだ。
これらの喧騒の届かない、総本部の奥の総帥室で。
事態を欠片も知らないクトゥルトは、抱え込み過ぎた仕事を休む事なく消化していた。
クトゥルト
いくつかヴェラスに渡すべきだったか…?
クトゥルト
いや、そうだ…彼女には東部基地の視察を頼んだんだ…それすらも忘れるとは。
身体に限界が迫っている事をようやく認識し、何時間もキーボードを叩いていた手を止める。
椅子にもたれかかって天井を見上げると、ノックも無しに扉が開かれ、顔に廊下の光がかかる。
クトゥルト
…ベルナか。せめて、ノックか一言呼ぶぐらいはしてくれ…。
ベルナ
反乱です、一部の兵が蜂起しています。
クトゥルト
…は?
呆れて出そうになった溜め息を、飲み込んでしまうほどの衝撃が、クトゥルトを襲う。
「虚言」という単語が一瞬浮かんだが、ベルナが嘘を付く人間でない事は、誰よりも分かっている。
クトゥルト
待て…まず、説明を…。
慌てふためくクトゥルトには目もくれず、ベルナは部屋の奥の"非常時用"と刻印された棚をあさる。
ベルナ
言った通りです、兵が武器を持ちクーデターを__
クトゥルト
っ…ならば首謀者を見つけ出して、連れて来い!
今度はクトゥルトが、ベルナの話を遮る。
クトゥルト
話を…話せば分かる筈だ、そうすればきっと…。
ベルナ
何故、私に"戦え"と命じないのです?
何かに取り憑かれたように早口になるクトゥルトを、鈍く輝く金色の瞳は見えている。
ベルナ
貴方は何を恐れているのです、戦う事ですか?自分が死ぬ事ですか?それとも…"自分以外が死ぬ"事ですか?
クトゥルト
私、は…。
恐怖を誘う妖艶ようえんさをたずさえ、問い掛ける。
無表情で無感情に、温かくも無ければ冷たくも無い。
ベルナ
貴方は言った。
ベルナ
元の色を忘れたほどに、自らの手は命だったモノに塗れていると。
目を逸らす事など出来はしない。
ベルナ
貴方は懺悔した。
ベルナ
罪悪感の海に沈もうとも、喉を突く事も首を絞める事も出来ない、自らの弱さが憎いのだと。
ソレは、罪を知る唯一の者。
クトゥルト・セフィラスの過去を知りながら、彼の行く先だけを見ている者。
ベルナ
貴方は選択した。
ベルナ
死ぬまで故郷を取り戻すための戦いを、続ける事を。
酸素を吸うのを忘れていると錯覚するまでに、この場の空気は張り詰めている。
ベルナ
だと言うのに…今はどうです?
ベルナ
たった一人の死で心は傷付き、小さな革命で目に見えるほど動揺している。
ベルナはその手にナイフを持ち、クトゥルトの首に当てる。
ベルナ
これでは、面白く無い・・・・・
反応出来なければ、避ける事も出来ない。
クトゥルト
なっ…。
冷たく鋭い金属が、彼の肌を切り裂いた。
やってくる痛みよりも驚きに身を引かれ、傷口から少しずつ溢れる血を手で押さえながら、一歩二歩と後退る。
ベルナ
…これで貴方も、非常時であると宣言してくれますよね。
数秒前とは打って変わり、願い出るような言い方をする。
ナイフと共に棚から出してきた銃に弾を込め、いつでも戦えるよう準備を整える。
クトゥルト
ベルナ…君は、何がしたい。
押さえてみても意味が無く、首筋を伝って落ちていく血の動きを掌で感じ取りながら、クトゥルトは問う。
ベルナ
…戦闘を禁じられてから8年、私の"衝動"はもう…閉じ込めてはおけない。
ベルナは笑った。
口角が上がるだけではない、目も表情も、確かに動いた。
ベルナ
心配は要らない…貴方の傷は処置をすれば簡単に治せる、そういう風に切った。
笑みが明確になるにつれ、ベルナの口調も変わる。
ベルナ
あぁ…貴方の全てが知りたい、貴方の死に際を目に焼き付けて、貴方という存在を私の"知識"としたい。
ベルナ
…でも、選ばせてあげます。10年前に、拾ってもらったお礼として。
コレがベルナの本心なのだろうか。
無表情とは何だ。無感情とは何だ。
それらの面影も無い。
子供のように無邪気に、いや…それよりもずっと明るく笑う。
ベルナ
まぁ…どちらを選んでも、貴方の"敵"は皆居なくなりますけどね。
遂には声を出すまでに至り、笑い声を響かせながらクトゥルトに背を向け、扉を開ける。
ベルナ
それじゃあ…また後で。
扉は閉められ、笑い声も聞こえなくなる。
それでもクトゥルトの耳には、まだ響いている。
「貴方は何を選ぶ?」
その問いは、人生最後になるかもしれない、文字通りの命題。
5章5節に続く

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