新武装の性能実験を兼ねていた事もあり、開発部長であるファクトアにはあまり時間をおかずに、レティステラでの戦闘報告がなされた。
開発部のデスクでパソコンを操作し、実験の結果を書き連ねていくファクトアは、腕を組み壁に寄り掛かって自身を見つめるインセントに、目線を動かす事無く問う。
最低限の作業が出来る程度の明るさの中に、インセントの冷たい声が響く。
今しがた自分で打ち込んだ、文字数の少な過ぎるレポートを、落胆の目で見ながら言う。
彼女の力の抜けた目線に、インセントは食い付くように言葉を被せる。
少しも間をおかず、ファクトアはインセントに同意した。
変わらず瞳には冷たさが宿るものの、彼の態度には喜びに似た感情が僅かにある。
日光がカーテンによって遮られ、まだ朝と言える時間帯にも関わらず、手元を照らす明かり以外の無い部屋で、国を揺るがす事態は幕を開け始める。
そして時間は過ぎ、太陽が南の空を通る頃。
中央総本部の廊下を、聞くだけで怒っていると分かる独特な足音を出して、メトロームは歩いていた。
北部基地での後処理を完了し、夜を移動に費やして中央まで戻って来たネルエルとメトロームを迎えた、アルミューレの訃報。
睡眠不足と疲労に侵された頭に、その耳を疑いたくなる報告は、尋常ではない衝撃を与えた。
ネルエルは残っていた仕事の詳細も聞かず、今は部屋に一人閉じ籠もっている。
どんな説教をしようか考えながら、自室の__正確には自分とネルエルの部屋の__扉を開ける。
ネルエルはベットの上で毛布を被り、顔すらも見えない。
普段の彼とは似ても似つかない話し方に、メトロームは目を見開く。
怒りを言葉にしようとした口も、止まってしまう。
話し方は勿論、声の調子や仕草に至るまで、何もかもが違う。
明らかに異常がある。
だがメトロームの驚きは即座に収まり、先程とは"別の事"に対する怒りを持っている。
喚き散らすネルエルから視線を外し、二つのベットの間にある棚の引き出しから、1錠の薬を取り出した。
同じ棚の別の引き出しから、水の入ったアルミ缶を取りプルタブを片手で開ける。
左手にそれら二つを持ったまま、ネルエルに近付き胸倉を掴んだ。
振り解こうと余計に暴れるネルエルを押し倒し、メトロームは薬と水を無理やり口に入れさせる。
乱暴に押し込まれた薬を水で飲み込むが、下手に動いたために酷く咳込む事になった。
喉を痛めるのではないかと思うほど咳をし、震えながら床に蹲るネルエルを心配する事もせず、メトロームは一つ舌打ちをしてから廊下に出ようとする。
助けを求める視線を感じ、メトロームは足を止める。
潤む瞳から目を逸らし、静止の声も振り切って部屋を出て行く。
薬の予備を貰いに行くと言っても、向かうのは医務室などではない。
そもそも彼に処方されている薬は特別製で、そんな所には置いておけない。
では何処に受け取りに行くのかと言えば、特昇兵隊長ベルナの部屋である。
総帥から安全性を担保されており、勝手に持ち出される事もない。
出来る限り響くようにノックをして、ベルナを呼ぶ。
数時間前に西部から帰還したというのは聞いているが、休息を邪魔する事は気が引けるため、様子を探ってから扉を開けようと考えた。
しかし探りも不必要だと思えるほど早く返事がされ、扉も内側から開けられる。
異様な緊張を覚えつつ足を踏み入れたメトロームは、自分にはその素晴らしさをどうも理解出来ない、厳かな薫りを感じ取った。
部屋の中央のテーブルに目を向け、ティーカップが"二つ"ある事を不思議に思いながら聞く。
初めから二人居る事を想定していたのか、これも二つ用意されている椅子の内の一つに着席を促される。
メトロームの向かいの席に座ると思っていたベルナは、腰を下ろす前に自分のカップをしまい、新しい物を棚から取り出して置く。
疑問を紡ごうとしたがカップに紅茶を注がれ、無言の圧力をかけられ黙ってしまう。
なるべく音を立てないように注意し、一口啜る。
こういう嗜好品の教養が無いメトロームには、美味である事は分かってもその良さは分からない。
飲めているのか判断出来ないほどの小さな一口を、目を閉じて存分に味わうベルナに対し、思わず本音を漏らしてしまう。
失言に気付き訂正しようと言い訳を考えるが、思い付くより先にベルナは答える。
様々な理由の驚愕に手と口を止めるメトロームを余所に、言葉は続いていく。
会話を辞めて茶の世界に舞い戻るベルナを目で追いながら、メトロームは考える。
「この人は、感情が出ないだけなのだ」と。
閉ざされている心の内が、この刹那に垣間見えた。
その台詞のおかげで、メトロームは忘れかけていた訪問の理由を思い出す。
もう落ち着きを取り戻している頃だと思うが、だからと言って急ぐ必要は無いので、新たな話題に乗ってみる。
結局付き合い続けるしかないのかと、メトロームは心底面倒そうに溜め息をつく。
紅茶の残りも少なくなり、簡易的な茶会の終わりが見えてくる。
メトロームに退出を勧めつつ、ベルナは席を立って棚に向かい、食器類が入っているのとは別の戸を開ける。
そこから錠剤の束を取り、既に席から離れたメトロームへ渡す。
受け取った薬をポケットに入れ、敬礼をしてからベルナの部屋を後にする。
自室へと戻るため廊下を歩いていると、珍しく一般兵から声を掛けられた。
一般兵が特昇兵を名前で呼ぶ事は無い、それぞれに与えられたブローチから付けられた異名を使う。
それは、特昇兵は名前を使って呼ぶような存在ではないという、異質な共通認識によるものだろう。
無礼極まりないと言える雑な対応をし、その兵士は去っていく。
そんな不条理を受け入れて、また自室への道を歩き始める。
メトロームが扉を開けると、静かにベットに腰掛けていたネルエルが寄ってきた。
陽気さが無いように見えるが、寧ろ普段よりずっと御しやすく、メトロームは嬉しさすら感じる。
神経を苛立たせる狂った明るさが戻る前に、用件を伝えてしまおうと早口になる。
即座に了承しメトロームを待つ事もせず、袖を引っ張って引き摺ろうとする。
その行動は当然の如くメトロームを苛立たせ、"いつも通り"の光景となった。
東部支部の建物内には、通常ならば鍵が開けられる事も無い、特殊な部屋が存在する。
その部屋の外の壁には、"霊安室"と書かれた札が付いており、使用されない理由を物語っている。
しかし今この部屋は開放され、四肢の先だけが無い遺体が置かれていた。
アノアは遺体の顔が見えるよう椅子に座り、後ろに立つシニィとアンジェルの視線を、背中に受けている。
彼の髪と服は、助からないとは分かっていながらも、アルミューレを抱え応急処置をしようとした事で、元の色を違えそうになるほどに赤く染まっている。
三十分は同じ姿勢のまま動かない彼を慮り、シニィは声を出す。
俯く彼の声は掠れ、涙を流さずに泣いている。
どんな慰めの言葉も、彼には届かないのではないかと、彼女は思う。
それでも声に出てしまうのは、自分に出来る事を模索し続けているからだろうか。
状況を弁えず厳しい言葉をかけるアンジェルに、シニィは怒りにも似た眼差しを向ける。
頭は動かさず前を見たまま、自分に向けられた視線へ返事をする。
その台詞に共感出来てしまい、引き下がるしかなくなった。
アノアは立ち上がり、二人の方を向いて懇願する。
悲しみに暮れていた瞳は今や、覚悟に満ちている。
戦争が終わるまで…それはどちらかが勝つまでではない。
かつての仲間達を、助けられるまで。
そこが彼にとっての、戦いの終わり。
アノアの言葉を聞き、アンジェルは笑みを零す。
話の外に追いやられていたシニィも、アノアが持ち直した事を悟り、遅れて笑顔になる。
霊安室を出てすぐ、アンジェルはアノアの格好を見て言った。
元気良く承諾し、つい先程までの雰囲気を忘れられそうな微笑みを見せて、シニィは走っていく。
二人だけの妙に張り詰めた空気を嫌い、アノアは以前から思っていた事を、口にしてみることにした。
信じられない事を聞いたという様に、アンジェルは目を見開く。
恐る恐る詳細を問うアンジェルの仕草に驚きつつも、アノアはその質問に答える。
納得をし、頷いて続きを促す。
アンジェルは瞼を閉じ、感傷に浸る。
およそ25年前、まだ赤子だった自分に笑いかけてくれた、彼の事を思い出して。
ほんの一時の想いが、今に繋がる。
アンジェルはそれを身を以て実感している。
アノアが入浴と着替えを終え、気を引き締め直して、戦いへの調整を進めている頃。
まだ薫りの残る自室で、ベルナは一人物思いに耽っていた。
誰も聴いていないのを良い事に、堂々と独りごちる。
そして紅茶を淹れるのに使い、まだ少し中身が入っている電気ケトルを持ち、何故か蓋を開けた。
蓋をテーブルの上に置き、息を殺して扉に近付く。
音を出さずにドアノブに触れ、一瞬の間に回して扉を開ける。
体重を預けていた物が突如として無くなり、扉に張り付いていた者が中へと倒れ込んできた。
顔で着地した哀れな兵士に、ベルナは無言でケトルの中身を浴びせる。
悲鳴を上げる暇もなく、まだ熱を帯びている湯が肌を焼いた。
悶える兵士の頭を掴み、ベルナは強制的に目線を合わせる。
熱による痛みに耐えながら、兵士は蔑むような目でベルナを見る。
…心の底からベルナを見下していた兵士が、情けを希求する事になるとは、想像出来た者は居ない。
形容したくも無い光景を作り上げ、なんとか呼吸だけは続ける兵士を床に放り投げて、ベルナは総帥室へと向かっていった。
それより少し前、総合指令室に到着したメトローム達は、呼ばれた理由を否応なしに察せられていた。
メトロームとネルエルに銃を突き付ける、ざっと数えて二十は居る兵士達に守られながら、"枷の起爆装置"を持つファクトアは言う。
入室すると同時に銃を向けられ、数の暴力には抗えず、両手足首に枷を付けられたメトロームは、周りの人間全員を睨みつける。
日頃笑顔を振り撒いてばかりいるネルエルですら、ファクトアに対しては怒りを覚えている。
だがこの場において、どちらの意見が多数派であるか、どちらの意見が支持されるかは、問うまでもなく明らかだ。
これらの喧騒の届かない、総本部の奥の総帥室で。
事態を欠片も知らないクトゥルトは、抱え込み過ぎた仕事を休む事なく消化していた。
身体に限界が迫っている事をようやく認識し、何時間もキーボードを叩いていた手を止める。
椅子に凭れかかって天井を見上げると、ノックも無しに扉が開かれ、顔に廊下の光がかかる。
呆れて出そうになった溜め息を、飲み込んでしまうほどの衝撃が、クトゥルトを襲う。
「虚言」という単語が一瞬浮かんだが、ベルナが嘘を付く人間でない事は、誰よりも分かっている。
慌てふためくクトゥルトには目もくれず、ベルナは部屋の奥の"非常時用"と刻印された棚を漁る。
今度はクトゥルトが、ベルナの話を遮る。
何かに取り憑かれたように早口になるクトゥルトを、鈍く輝く金色の瞳は見据えている。
恐怖を誘う妖艶さを携え、問い掛ける。
無表情で無感情に、温かくも無ければ冷たくも無い。
目を逸らす事など出来はしない。
ソレは、罪を知る唯一の者。
クトゥルト・セフィラスの過去を知りながら、彼の行く先だけを見ている者。
酸素を吸うのを忘れていると錯覚するまでに、この場の空気は張り詰めている。
ベルナはその手にナイフを持ち、クトゥルトの首に当てる。
反応出来なければ、避ける事も出来ない。
冷たく鋭い金属が、彼の肌を切り裂いた。
やってくる痛みよりも驚きに身を引かれ、傷口から少しずつ溢れる血を手で押さえながら、一歩二歩と後退る。
数秒前とは打って変わり、願い出るような言い方をする。
ナイフと共に棚から出してきた銃に弾を込め、いつでも戦えるよう準備を整える。
押さえてみても意味が無く、首筋を伝って落ちていく血の動きを掌で感じ取りながら、クトゥルトは問う。
ベルナは笑った。
口角が上がるだけではない、目も表情も、確かに動いた。
笑みが明確になるにつれ、ベルナの口調も変わる。
コレがベルナの本心なのだろうか。
無表情とは何だ。無感情とは何だ。
それらの面影も無い。
子供のように無邪気に、いや…それよりもずっと明るく笑う。
遂には声を出すまでに至り、笑い声を響かせながらクトゥルトに背を向け、扉を開ける。
扉は閉められ、笑い声も聞こえなくなる。
それでもクトゥルトの耳には、まだ響いている。
「貴方は何を選ぶ?」
その問いは、人生最後になるかもしれない、文字通りの命題。
5章5節に続く













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。