総帥室の前の廊下の曲がり角に、息を潜めて様子を伺っている者が居る。
上手く身を隠していて容姿は分からないが、地面に落ちる影の形から銃を構えている事が分かる。
総帥室から出てきたベルナの姿を見て、その人物は小型通信機のボタンを押す。
聞かれないよう小声で簡潔に報告をし、判断とその後の指示を待つ。
だが返事がなされたのは、通信機からではない。
部屋の扉を背にしたまま、奇妙な笑みを顔に貼り付けているベルナは、煽るように言う。
名を言い当てられ、その人物__リスターは角から出る他無くなる。
再会を喜ぶ様な状況ではなく、そもそもそんな感情は湧きもしない。
以前とはまるで違うベルナの態度に、幾分か疑念を抱きつつも、持っていた銃を向ける。
銃口が自分を狙おうとも、避ける事はおろか動揺すらせずに聞く。
そう質問をする間でも、ベルナは笑みを絶やさない。
リスターの心中には恐怖が湧き上がってくる。
恐れを振り払うように引き金を引き、念のため追加で三発、計四つの弾丸がベルナの頭と心臓を目掛けて飛ぶ。
空中を進んでいた四つの弾は、その尽くが両断された。
あまりの衝撃に身体と思考を止めてしまい、一瞬とはいえ隙が出来る。
切られた弾が地面に落ちるよりも速くベルナは距離を詰めて、リスターの鳩尾に勢いを乗せた蹴りを入れる。
壁に背中を強打し手から落ちていった銃と、なおも近付いてくるベルナを交互に見ながら、リスターはこの状況を打開する策を考える。
ベルナの口角がより上がるのと同時に、銃を取るため伸ばされた左腕が、壁と上げられた足に挟まれた。
硬い物が折れ曲がる音がして、リスターの顔からは色が消える。
痛みに悶えながら腰のナイフを抜き、型も何も無い反撃をしてみるが、それすらも簡単に叩き落される。
愉快そうに笑い歪んだ幸福を享受するベルナと、体の内側から響く激痛に耐え目の前の相手の睨むリスターの、視線が交錯する。
固く閉ざされた扉の先、総帥室の中でクトゥルトは、開けられたままになっている棚を探っていた。
傷はあまり深くないとはいえ、目眩が起きる程度には血が流れている。
倒れそうになる身体を、棚の端を掴んでなんとか支える。
そこまで口にして、ようやく見つけた包帯の箱に伸ばしていた手を止める。
…気付いたのだ。
「自分が行って何かをしたとて、どうにかなる事では無いのではないか。」
「自分の言葉が届くような者達が、こんな事をするだろうか。」
何も出来ないなんて事はないかもしれない。
けれど考えが浮かんでしまった以上、それのために思考を巡らせしまうのは必然だろう。
自分に問うても、答えは出てこない。
今度は、先程投げ掛けられた問いが頭の中を駆け巡る。
『貴方は何を選ぶのか。』
今まさに部屋の外で、狂笑と共に惨状を作り出しているベルナが、クトゥルトに突き付けたその問いに対して。
彼はある二つの事柄を天秤に掛ける。
彼は覚悟を__人によっては異議すら唱える覚悟を決め、酷く重い身体を気力だけで這わせて、デスクによじ登る。
どれだけ不格好でも、どれだけ動きが鈍くとも、その行動が何かを変えると信じて。
震える指先に力を込めて、キーボードを叩く。
メトローム達が総合指令室に捕らえられるよりも、ベルナが総帥室に辿り着くよりも前。
時間にして凡そ三十分ほど前。
身の回りの支度を終え、アノア達三人はそれぞれの機体に乗り込み、作戦会議にも似た話し合いをしていた。
三人で通信を繋ぎ、アンジェルから提案がされる。
戦場に出る直前の会話だというのに、その雰囲気は驚くべき軽さをしている。
これは、緊張はしすぎても意味が無いというシニィの意見と、上下関係をあまり気にしたくないというアンジェルの意向が重なった結果である。
到着後の詳細な動きは移動中に決めるとして、出撃のために外に出ようとエンジンが動き始めた3機に、引き留める声が届いた。
何やら重そうな物を背負って走って来るレシィの姿に驚き、三人は出撃準備を止めてそちらの方を見る。
レシィは言葉を区切りながら、乱れている呼吸を落ち着ける。
コックピットハッチを開けて外へ出ると、レシィと同じ荷物を背負ったルシィとセフィロトが、小走りで駆け寄ってくるのが目に入った。
膝に手を置いて深呼吸を繰り返し、追い付いてきたルシィに背中を擦ってもらっているレシィに代わり、セフィロトが前に出てくる。
セフィロトからアンジェルに、レシィはシニィへ手渡す。
ルシィがアノアに渡そうと近寄ると、アノアは呟く様に声を出した。
ルシィは一瞬何の事かと考えたが、すぐに思い出す。
以前中央総本部へ侵入した時に、アノアに左腕を折られた事だ。
もう既に腕は直っており気になった事も無いため、その事実を忘れてしまっていた。
小声で話しかけられた事から周りに聞かれたくないのだと予想し、ルシィも小声で返す。
アノアはそれでも申し訳なさそうにしたが、リュックを渡してからもルシィが笑顔でいると、本当に気にしていない事が伝わり、その微かな気不味さは解消される。
三人はチャックを開けて、見せ合う様にして内容を確認する。
最も数が多いのは包帯で、これが重量の理由になっているようだ。
それ以外には鎮痛剤や鎮静剤、消毒液も同梱されている。
目を細めて自信無さげに言いながら、アンジェルはアノアとシニィに手で合図を送る。
それを見て二人はコックピットにまた乗り込んでいき、アンジェルも続いて向かう。
セフィロト達が安全な位置まで離れたのを確認し、繋いだままにしておいた通信で呼び掛ける。
アンジェルが初めに出撃し、次にアノアがそして最後にシニィと続いて行く。
…奇しくも負傷に対応出来る道具を大量に持ち、まだそれが起きている事すら知らない混乱の中へ、三人は身を投じようとしていた。
それから時間は少し進み、四十分後。
苦痛を味わいながらも、敵意の輝きだけは絶やさなかったリスターの瞳からは、その光が消えかけている。
あり得ない方向に曲がった手足は動く筈もなく、酸素を取り込もうとしても折れた肋骨が肺に突き刺さっているのか、息を吸うたびに激痛が走る。
顔の半分を赤く染める血が視界の殆どを遮っているために、惨たらしく変わってしまった自らの身体を見ずに済んでいる。
しかし耳はまともに機能しているせいで、恐怖を煽る事しかしないベルナの台詞を、余すこと無く聞いてしまっている。
息も絶え絶えになりながら、声を絞り出す様にして聞く。
「よくある狂人の考えだ。」
リスターの思考にはその一文が浮かんだが、ベルナの口からはそんな陳腐な考えを、容易く覆す台詞が生み出される。
言い聞かせるかのように優しく、歌い上げるかのように滑らかに、言葉は続く。
狂笑、冷笑、嘲笑、微笑…どれとも取れてどれでもないように思える不気味な笑いに彩られて、言葉はその一つ一つが聞く者に恐れを植え付ける。
狂ってはいるんだろう、だが狂人と称するのは納得がいかない。
その狂気には、生命や世界の神秘に対する探究心が確かに含まれているのだ。
純情とすら言いたくなるほどの異常な執着を、どう形容すれば良いのか。
右手に持つナイフを構え直して、力無く壁に倒れかかっているリスターへ向けて、一歩を踏み出す。
ただでさえ痛みに耐えかねているというのに、まだ傷は増やされるのだろうか。
これから起こるだろう最悪の事象を想像し、リスターの瞳には光ではなく涙が浮かぶ。
これで最後になるならと、体中に響く痛みを構わず叫ぶ。
プライドも憎悪の感情も、痛みと苦しみの前には脆く崩れ去ってしまう。
聖人の様にも思えた微笑みが緩み、残念そうにしながら上げていた右手を下ろす。
役割を引き継ぐように左手は銃を抜き、狙いをリスターの額の中心に定める。
心の底からの感謝と共に、引き金を引く。
額を貫く銃声と、"ベルナを狙った弾丸が弾かれる音"は、同時に鳴った。
ベルナは右を向き、もう一つの銃声の主__インセントに挑発的な言葉を投げる。
その視線の少し先に居るインセントは、眉間にしわを寄せながら返す。
そこにはこの場の惨状に対する、恐怖も困惑も無い。
彼には"こう"なると予想出来ていた様だ。
無理やり口調を直してみるが、表情までは直せないため意味が無い。
遅れてやって来てインセントの後ろに付き従う、四人の兵士の内の一人が、声を震わせながら問う。
比較的普通に近い感性を持ってしまっている者には、目の前の光景は理解すらしがたい。
煩わしそうに答えるインセントと目を合わせながら、ベルナは窮屈さを軽減するため軍服のボタンを外していく。
軍服の下に着ているワイシャツの、胸ポケットに付けられた"金色の柱"のブローチが、明かりに照らされて輝いている。
自身を縛り付けていた鎖を解き放ったような、喜びの滲む笑みを見せて、ベルナはインセントを見据える。
その台詞を合図として、ベルナの背後の道に三人の兵士が現れる。
潜伏していた者達が、物陰から出てきたのだ。
インセントが銃を向け、それに応じるように他の兵士もベルナに銃を向ける。
軽く吐き捨て、ベルナは身を翻して走り出す。
背を向けられた四人の兵士達は、この好機を逃すまいと引き金に指をかける。
インセントの静止を振り切り四発の銃声が同時に響くが、ベルナはさも当然の事のように"壁を走り"それを躱す。
挟み撃ちにおいて、挟んだ対象に当たらなかった銃弾が何処に行くのかと言えば…問うまでもない。
道の奥で同じ様に構えていた三人の腕に、足に、身体に、弾は当たる。
嘲りを含んだ呟きを言う余裕すら持ち、軽やかに三人の背後に着地する。
そして大きな隙を見せる三人の首筋を、一太刀で切り裂いた。
意識も瞬時に飛び前に倒れる一人の背中を踏み台にして、ベルナはインセント達に矛先を向ける。
分かりきっていた現実に落胆しつつも、三発ほど足下を狙って撃ってみる。
勿論当たることは無く、逆に走りながら撃たれた弾丸が、横で無様に狼狽える兵の頭を貫通した。
ベルナはなおも止まらず、右手のナイフを強く握って近接戦闘の構えを取る。
それに応じようとインセントもナイフを持ち、振り下ろされた刃を受け止める。
金属同士がぶつかり合いが続くと思われたが、ベルナはそこで終わる様な戦い方はしない。
右手でほぼ全体重を支え、跳躍する。
インセントの頭上を通り過ぎる刹那、滞空している数秒の間に左手の銃を撃つ。
飛ぶ際に体重を乗せられたことで、身体は蹌踉めき振り返るのにも時間を要する。
後ろを向きながらも身体を捻り、致命傷だけは避けられた。
しかし弾は彼の左目を潰しており、勝機はどこにも見えなくなる。
歯を砕きかねないほど強く食いしばり、残る右目を怒りに染めてベルナを睨む。
音も無く地に足をつけたベルナは、弾切れとなった銃に予備の弾丸を詰めている。
どんな感情を向けられようとも、笑みが消え去る事は無い。
死者の出ている総帥室前とは異なり、何も起きない総合指令室に籠城するファクトアは、変わらない状況に対して苛立ちを覚えてきている。
何かを思い付いたようで、話をする気も無いと言う風に沈黙を貫いている、メトロームとネルエルに視線を向ける。
そんな質問にも、二人は答えない。
だがそれでも聞く事を辞めない。
その言葉に、二人は反応する。
どれだけ嫌悪する相手であっても、仲間を貶されては反論したくもなる。
ファクトアの言葉が重ねられるたび、二人の中には怒りが積もる。
突き付けられている銃が無ければ、ファクトアがスイッチから手を離せば、思う存分暴れられるというのに。
それまで怒りを宿していたメトロームの瞳に、惑いが生じてくる。
それは彼にのみ聞こえている"音"によるものなのだが、他の者には聞こえておらず、ただメトロームが急に表情を変えただけに見えている。
その"音"の正体に気付いたメトロームは、先程から一転して邪悪な笑みを浮かべる。
メトロームがより口角を上げるのとほぼ同じタイミングで、爆発音と微かな振動がファクトアと兵士達を襲う。
誰もがその異常に気を取られる中で、メトロームは隙を見逃さず近くに立っていた兵士の手から、銃を二つ叩き落とす。
たった一言、だがそれで事足りる。
メトロームの意図を完璧に理解し、ネルエルは落ちた銃を両手に一つずつ拾う。
一拍の遅れ、一秒にも満たない時間の中でも人は死ねる。
即座に兵士に命令を下すが、これでは遅すぎる。
ネルエルは既に、起爆装置とファクトアの頭へ二つの銃口を向けている。
命じられてから動いた兵と、自分の意思で動いたネルエル。
どちらの方が早く引き金を引くかなど、誰の目にも明らかだ。
5章6節へ続く













編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!