中央総本部の上空約三百メートルにて、牽制射撃を建物近くの無人の場所に行い、対応を見極めつつ突撃するつもりだったコード:ディストピアの動きは止まる。
此処に来るまでに妨害の一つも無かった事も、アンジェルが訝しむ理由だ。
コード:ディストピアの後ろに付くコード:ナイトメアから、アノアの意見が届く。
状況は何一つ飲み込めないままだったが、だからといってこの場に留まり続ける訳にもいかない。
アンジェルの判断は早かった。
今が非常時である事は三人にも理解出来たが、しかし全員が内部へ侵入するのは危険過ぎる。
ならばそれぞれで担当を決め、その上で適宜連絡を取りながら行動するのが良いだろう。
誰の異論も無くすんなりと決まり、パイロットを降ろすためコード:ナイトメアとコード:ディストピアは、地面に向かって下降していく。
地面との距離が二メートルほどとなった所で、二人はリュックを背負ってから危なげ無く飛び降りる。
一度顔を見合って頷き、即座に中を目指して走り出した。
主の居なくなった2機は、コード:フェイトに守られながら静かに地に足をつけ、跪く形で停止する。
その未知の世界への好奇心を口にするクリスとは裏腹に、クリファの呟きには懐古にも似た悲しみが込められている。
俄に騒然としていた総合指令室に、二発分の乾いた音が鳴り響いた。
弾丸はファクトアの額と、その手に持つスイッチを正確に貫き、この一瞬においてはメトローム達の死は無くなる。
だがそれはほんの僅かな猶予、周囲を兵士に取り囲まれている現実は変わらない。
二十人いる中の誰かが叫び、意識は二人の方を向く。
近くに居る者を殴り倒そうが、やれるだけ速く連射しようが、この人数を相手にするのは不可能だ。
飛び交う銃弾の合間をなんとか見極め続けていたが、避けきれなかった一発がネルエルの左肩を抉る。
それを見て助けに入ろうとするも、踏み出そうとした右足の脛近くに弾が当たった。
動きを止められ脱力するのとは反対の足で身体を支え、痛みをぶつけるように撃たれた足を振り回す。
しかしそんな見え透いた攻撃は簡単に防がれ、弾丸の雨という反撃をくらう。
当たれば死に至る、心臓や頭といった部位には辛うじて当たらなかったが、それでもまともに動けなくなる傷ではある。
今まさに彼の頭を撃ち抜こうとしている銃を、広がる痛みに耐えながら左手に持つ銃で撃ち落とす。
無傷で自由に動かせる右手の銃が、ネルエルの背後に居る者の胸を的確に貫いていくものの、無理をして左手で撃ってしまったがために、その痛みは全身に広がる。
敵は残り五人、だが彼らの引き金を引く手を止める術を、二人は持っていない。
どこか怨嗟も感じられる台詞と共に、引き金に触れている指が動く。
指が引き金を押し込む直前、指令室の入り口の方から"刃の無いナイフ"が投げ込まれた。
銃を弾き飛ばし宙に舞うナイフを目で追いながら、二人は驚愕の声を漏らす。
疑問に答えるように、人影が兵と二人の間へ躍り出る。
そして"彼"はもう一本ナイフを取り出し、目の前の兵士の意識を瞬時に刈り取ってから、落ちてきた方のナイフを掴んだ。
アノアは両手のナイフを構え直し、残る四人の行動を警戒しつつ二人には優しく声をかける。
一言置いて地面を蹴り、動けない二人から距離を取れるように立ち回りを工夫する。
四人が気を失い倒れ伏す頃には、アノアは部屋の中央から端へと移動していた。
襲いくる激痛に呼吸を乱されながらも賞賛しようと思えるほど、アノアの動きには美しさがある。
部屋の入り口近くに放り投げておいたリュックから包帯を取り、血の止まらない二人の傷口を見て言う。
本当に心からの言葉だったのだが、"この"アノアの雰囲気に違和感しか無い二人は、それすらも不思議に思ってしまう。
最大限言葉を選んで口にし、質問責めを始めそうな二人を落ち着かせる。
安心出来る状況では未だ無いが、緊張を緩められるぐらいには危機は去った。
治療に専念していて声には出さないが、今アノアは確かに喜びを感じている。
ほんの数時間前には出来なかった、"仲間を救う"という一つの目標が進展しているのだ。
彼がこれを喜ばずにいられるとは、到底思えない。
指令室での一時の騒動が嵐の如く駆け抜けていった反面、総帥室前の廊下は相変わらずベルナの独壇場となっている。
涙の様に血の流れる左目の"あった所"を抑え、酸素を一息で吐ききるように声を絞り出す。
前に出そうとした足は、その動作を察知したベルナがナイフを一閃し、筋が切断され動かせなくなる。
今インセントを立たせているものは、病的なまでの諦めの悪さだろう。
だがベルナはそれすらも嘲笑い、今度はインセントの喉にほど近い場所を切り払う。
これ以上の出血は避けなければと、咄嗟に後ろへ飛んだインセントを待っていたのは、逃げ場は無いと宣言する様に硬い、壁だった。
追い込まれたのだ。
何度か感情が混ざる事はあれど常に保たれてきたベルナの笑みが、ここにきて苛立ちに変わっていく。
ベルナは呆れたと言う代わりに溜め息をついた。
それを隙と見たのか、インセントはここしか無いとばかりに銃を向けようとするが、構えるより前に銃身を切りつけられ、失敗に終わる。
体を芯から震わせて、目の前の相手には響く筈もないと分かっていながら叫ぶ。
その慟哭は届いている。
だが何故か、ベルナの苛立ちはより一層加速しているよう。
喉に突き刺さったナイフによって、インセントの言葉は断ち切られた。
内部に溢れる血と唐突に込み上げた激痛が、喉を震わせる事を阻害する。
微笑すらも消え去り、"普段"の作られた無感情よりも冷たい、怒りと冷徹さを帯びた声色で吐き捨てる。
少しずつ薄れていくインセントの視界に最後に焼き付くのは、人のモノとは思えぬ鈍い光を携えるベルナの瞳。
後悔も懺悔もする暇はなく、息の根が止まる。
微動だにしなくなったインセントの喉から、ナイフを引き抜いて付いた血を振り落とす。
一部乾いているものもあるせいか、まだ汚れは残っている。
この状態では切れ味が不安だが、ベルナはそんな心配はしていない。
"近付いてくる足音"が敵のものでは無いと、分かっているからだ。
曲がり角の先、姿を現したアンジェルは少し乱れた呼吸を整えながら、ベルナと相対する。
状況を見れば、誰がその凄惨な光景を作り上げたのかは聞くまでもない。
むしろ問うべきは、それをやった人物の精神状態だろう。
その具体性の無い答えだけでもアンジェルは、そこに含まれた事情の大半を察する。
事情があるからといって見逃せるものではないが、今すぐに問い詰めるものでもない。
アンジェルがここに来た理由は、彼女にとってはそれよりも重要な事なのだ。
手を伸ばせば触れられる程度の距離まで近付いて、探りを入れる様に問う。
そこまで言ってベルナは、一歩離れて道を開ける。
まだ少しベルナを疑っていたアンジェルは、その潔さに一瞬衝撃を受けた。
ベルナの行動を、"自分だけを迎えるためにやったのではないか"と考えてしまうほど、一連の動きには抵抗も逡巡も見られない。
障害物の無くなった一本道を、一歩毎に重くなる足取りとともに歩く。
何の変哲もない扉を開ける事にすら、多少の躊躇いを覚える。
しかし開けなければ、現実を見なければ、此処に来た意味が無い。
扉の先は薄暗く、全体的に重苦しい雰囲気となっている。
だがそんな中であっても、絨毯の様に床に引かれた"赤い線"ははっきりと識別出来る。
掠れた声は聞き取るのにも一苦労で、誰がどう見ても限界が近い。
それでもアンジェルは、助けようという気にはなれない。
すぐ横にある、戸の開いた中身を漁られた形跡のある棚には、"微かに血の付いた包帯"が入っているからだ。
「生きていたくない」というクトゥルトの本心を、否応なしに悟る事になった。
悲しみと後悔と僅かな怒りを、その一言に乗せる。
少し前に聞いたばかりなのだ、「貴方は自分の行動に耐えられているのか」と。
それを最悪の形で返されれば、こう言いたくもなる。
気力を振り絞っているのか、言葉だけは途切れず紡がれていく。
机に預けていた体を起き上がらせようと、クトゥルトは鉛よりも重い上半身を動かす。
彼の身体はもう重力に抗う事すら難しく、ふらついて床に倒れそうになる。
しかし体を打ちつける寸前、アンジェルが支えに入り事なきを得た。
語調には怒りが滲んでいるが、それを言う彼女の表情は悲しげにも見える。
自分の肩を支える手に触れて、クトゥルトは言う。
拒絶してしまいたいとも思ったが、彼の瞳に宿る覚悟にあてられ、喉まで上ってきていた拒否の言葉が消えていく。
手のひらに乗せられた小さな装置を見て、疑問を呈する。
以前彼は言った「変えられないなら捻じ曲げるしか無い」と。
そしてアンジェルには分かっている、それが力無くして叶う事では無いと。
どれだけ嫌だと言おうとも、戦いたくないと言おうとも、世界に届く事は無くて、その一部である人間にはより届いてくれない。
だから、選択肢は一つしか残らない。
25年前の後悔に囚われ続け、彼はもうそこから抜け出せなくなっている。
かつての、 少年の頃のような声で伝言を頼む。
クトゥルトの双眸に涙が浮かび、溢れると同時にアンジェルもつられて涙を流す。
段々と光が弱くなり、彼の目蓋は閉じられていく。
人が死ぬ時、最後まで残るのは聴覚だという。
彼女の言葉を聞いたクトゥルトは、一体何を思っただろうか。
いくつかあるのだろうが、きっとその内の一つに"彼女を頼れなかった自分を恨む心"がある。
彼はそういう人間だ。
どこまでいっても自責の念を忘れられず、一度喪ってからは繰り返す事が怖くなって、より一人で抱え込む。
おそらく彼が自分を俯瞰して見たなら、出てくる感想は今のアンジェルと同じだろう。
"こんな馬鹿な人間は居ない"
けれどそれが彼であるからこそ、どうしようもないと嘆くしかないのだ。
本心からそう嘆く者が、自分自身しか居ないと分かっても。
託されたメモリーカードを大切にポケットにしまい、クトゥルトの身体を抱え上げて部屋を出る。
それを見るベルナの表情は、分かりきっていたとでも言いたそうだった。
前をアンジェルが通り過ぎようとした時、そんな質問を投げてみた。
ベルナの意図を分かっていながら、あえてはぐらかす。
自分からは言葉にしたくないのか、話題を逸らそうという努力もしてみる。
幼稚な思惑は看破されているようで、返事は即座にやってくる。
どうしても、今すぐ向き合わなければならないようだ。
そう思うと自然と言葉が浮かんできて、即興ではあれど答えられるようになる。
アンジェルの答えが想像通りだったからなのか、予想を上回ったからなのかは分からないが、ベルナは愉快そうに笑い始める。
アンジェルの苦労を笑っているのではない、彼女の勇気を讃えるために笑っているのだ。
幾度となく変わりゆく現状に、どう立ち向かっていくのか。
ベルナはそれが、気になってしょうがない。
5章完
6章1節に続く













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。