ロボットの目は開いたままだった。光は弱く、揺れている。焦点は定まらない。それでも、完全な無反応ではなかった。僕は周囲を見回した。管理用ロボットはいない。通路の向こうからは、いつも通りの工場の音が流れてくる。金属が触れ合い、規則が続いている音。その中に、この違反はまだ混ざっていない。
「……大丈夫」
そう言った自分の声が、少し震えていた。ロボットに向けたのか、それとも自分に向けたのかは分からない。返事はない。けれど、内部の振動は続いている。生き延びている、という表現がいちばん近かった。
隠さなければならない。そう思った瞬間、また一線を越えた気がした。違反は行為だけじゃない。守ろうとする意志そのものが、もう規則の外側にある。壊れた部品を上に重ね、視線から隠す。雑に見せかけて、必要な空間だけは残す。こういう手つきは、誰からも教わっていない。それなのに、自然にできた。社会の中で生きるというのは、こういうことなのかもしれない。守るために、嘘を覚える。
足音が近づいた。反射的に手を引っ込める。管理用ロボットが通路を横切り、こちらを一瞥した。いや、一瞥したように見えただけかもしれない。ロボットは何も言わず、通り過ぎていく。警告も、指摘もない。窓の向こうから見ているだけ。介入しない傍観者の、正しい振る舞い。
時間が流れる。作業の合間、僕は何度も焼却炉の前を通った。そのたびに、部品の山の中を確認する。ロボットは、まだそこにある。目は閉じたり、開いたりを繰り返している。意識があるのかどうかは分からない。それでも、完全に“もの”には戻っていない。
「……きこえる?」
声を落としてそう尋ねた。馬鹿げた問いだと分かっている。けれど、問いかけずにはいられなかった。しばらくして、ロボットの指が、ほんの少し動いた。偶然かもしれない。それでも、今度は目が合った気がした。視線が交差する、というほど確かなものじゃない。ただ、向きがこちらだった。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「ここは……危ない」
言葉は、断片的にしか出てこなかった。説明する時間も、余裕もない。ロボットは何も答えない。ただ、その沈黙が、拒絶ではないと分かる。拒絶する機能すら、もう壊れているのかもしれなかった。
窓を見る。相変わらず、割れていない。ガラスは透明で、硬く、境界として完璧だ。その向こうで、社会は静かに見ている。正しくあれ、とも、やめろ、とも言わない。ただ結果だけを待っている。日曜日は、平等にやって来る。
僕は決めた。完全に直せなくてもいい。ここから連れ出せなくてもいい。ただ、終わらせない。焼却炉に入れさせない。それだけで、この違反は意味を持つ。小さくて、目立たなくて、でも確実に正しくない行為。
ロボットの目が、もう一度だけ開いた。
今度は、はっきりとこちらを見ていた。
それが、会話の始まりだったのかどうかは分からない。
けれど、傍観者ではいられなくなった、最初の瞬間だった。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。