第50話

伍拾話 壊れゆく音を聴く
811
2025/08/29 12:00 更新






朝の陽が障子越しに差し込む。

季節はちょうど、夏の終わり。

空気が少しずつ

秋の匂いを帯びてきた頃だ。



泰亨
泰亨
 ……ジョングク、朝だよ 

柾國
柾國
 ん……もう起きたのか? 

泰亨
泰亨
 今日は……子どもたち、
 早く出るって言ってたから。 
 お弁当、作らなきゃね

柾國
柾國
 ……あんまり、無理すんなよ 




そう声をかけると、

テヒョンは「うん」と笑った。



けれど、

その声は少しだけ、

掠れていて。



笑顔の裏に、

無理を重ねているのが

透けて見えた。



テリンとジョンウンは高等部に進み、

リンファは中等部の二回生。

あの小さな手で俺の指を

握っていた日々は、

もう遠くにある。



それでも、

家の中はいつも温かかった。

……ここまでは、ずっと。



最近、テヒョンの様子がおかしい。

最初は“疲れているのかな”と思った。



けれど、台所に立つたびに

ふらつくようになり、

階段を上るのも、

時折躊躇するようになってきた。



何もないところで立ち止まったり、

急に肩を押さえて、動けなくなったり。



柾國
柾國
 ……なぁ、身体、
 診てもらった方が
 いいんじゃないか? 




俺がそう言ったとき、

テヒョンは少しだけ黙って、

目を伏せた。



泰亨
泰亨
 大丈夫……だと思う。
 まだ……
 少し重だるいだけだから。 




そう言って微笑んだ顔が、

どこか遠くて___

俺は、どうにもできない

自分に苛立ちさえ覚えた。



力も、美しさも、

昔と変わらないまま、

あいつは静かに、

少しずつ削られていっている。



それが、

目に見えるほどわかるのに___

俺にできるのは、

ただ、そばにいることだけ。



肩を抱き寄せる。額に口づける。

夜、うなされるように

寝返りを打つその身体を、

そっと抱きしめる。



……それしか、できない。



そしてある日。

テヒョンが、

小さくため息をついて言った。



泰亨
泰亨
 …リサに、
 相談してみようと思う 

柾國
柾國
 颯天国の、
 ジス様の侍女の……? 

泰亨
泰亨
 あの人、医術にも長けてる。
 ……僕よりも、身体のこと、 
 わかってる気がする。




俺は、

頷くことしかできなかった。



テヒョンが

“助けを求める”ということが、

どれほどの決意を伴っているか___

俺には、

痛いほどわかっていたから。



翌日、リサが屋敷を訪れた。

久しぶりに見るその姿は、

変わらず気品があり、

けれど、優しさをそのまま表情に

乗せたような人だった。



李沙
李沙
 お身体、
 見せていただけますか? 

泰亨
泰亨
 ……お願いします 




襟を少しだけゆるめ、

肌を見せるテヒョンの動作が、

どこかゆっくりしているのが、

胸に刺さった。



リサの指が、静かに脈を取り、

掌をあてがいながら、

わずかに顔をしかめたのを、

俺は見逃さなかった。



柾國
柾國
 ……? 




俺が声を出す前に、

リサは微笑んで言った。



李沙
李沙
 少し、体の中に、
 熱の偏りがあります。
 でも……大丈夫です。
 今すぐ何か
 あるわけではありません。 




言葉の端々に、わずかな違和感。

けれど、俺はそれを

問いただせなかった。



テヒョンの手が、

俺の袖をそっと握っていたから。

その手が、少しだけ震えていたから。



李沙
李沙
 しばらくは……
 できるだけ無理をなさらず。
 政務も、お子様方のことも、
 ジョングク様と分担してください。 




そう言って、

リサは静かに帰っていった。



その夜、

テヒョンは俺の肩に頭を預けて、

小さな声で言った。



泰亨
泰亨
 …何かが、変なんだ 

柾國
柾國
 ……ああ、わかってる 

泰亨
泰亨
 けど……怖くて、
 まだ、深く知りたくない。 




俺は、何も言えなかった。

ただ、テヒョンの指を握り返し、

その温もりを確かめる。



それが、まだここに

“ある”ということだけが、

今の俺たちを繋いでいる、

唯一の“証”だった。



誰にも名前のわからない何かが、

少しずつ、静かに、

テヒョンの中で広がっていた。



___俺は、それに気づいていた。

けれど、まだそれを

認める言葉を持っていなかった。







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