店内には静かに流れるイタリアンジャズと、グラスがふれ合う澄んだ音が響いていた。前菜が運ばれてきた瞬間、オリーブオイルの豊かな香りがふわりと鼻先をかすめ、次第に焼きたてのパンの甘い香りも混ざり合う。
キャンドルの灯りが揺れるテーブルの上には、美しく盛り付けられたカプレーゼ。トマトの鮮やかな赤とモッツァレラの純白が目にまぶしい。
一口食べると、もちっとしたチーズの感触と瑞々しいトマトの皮のやわらかさが指先と舌に伝わり、丁寧に重ねられた味と食感がゆっくりと広がっていった。
ライアンの目の先では、大人たちがそれぞれの皿に顔をほころばせていた。
口元をほのかに緩め、静かにうなずきながら一口ごとに味わう人。
ワインを片手に、ゆっくりと舌鼓を打つ人。
誰もがそのひとときを惜しむように、料理の余韻を楽しんでいた。
「ところで…」
ふいに声が響くと、ライアンはそっと顔を上げ、その方へと視線を移した。
「まさか…本当にライアン殿の設計図どおりに、ここまで完璧なホテルが仕上がるとは……
それでも、重要なプロジェクトを子供に任せるなんてリスクが大きすぎたんじゃないか?」
実業家の一人がライアンをチラリと見てから、片方の口角を上げて言い放つ。
「私は自分の設計が正しいと信じていました。
ですが、実現させたのは皆さんです。皆さんのサポートがなければ、こんなに素晴らしいものにはならなかったでしょう」
ライアンの妙に威厳と落ち着きを加えた声に、彼は眉をひそめる。
だがすぐに、妙に若々しい短い笑い声が聞こえ、ライアンと、不服そうな顔をしている実業家は声の方に目を向けた。
「うん、ライアン君の図面はどこを取っても非の打ち所がなかったよ。年齢なんて関係ない。大事なのは結果だ」
その温和な口調の実業家は、にこやかにライアンに向かって言う。
彼の言葉に、先ほどの実業家が身を乗り出した。
「…過程も大事だと思うが?」
「確かに過程は無視できないけど、経営者や実業家は、デザインを基にビジネス戦略を立案する。世間から求められるのは過程じゃない。結果だ。ライアン君は見事に“結果”を手にした」
「……ありがとうございます…」と、ライアンは平然を装ったが、声は自分でも分かるほどに上ずっていた。
「君の情熱とアイディアはベテランも見習うべきものなんだ。ね!」
彼がにこっと笑みを向けると、もう一人の実業家はため息を押し殺すような表情を滲ませた。
「まぁ…これだけの出来なら、認めないわけにもいかないな」と、言うと、ワインを流し込んだ。
「ところで、どうしてそんなに完璧な設計図が描けたんだい?どこかで勉強したのかい?」
実業家は興味深そうに問いかける。
その問いに、その場にいた建設プロジェクト関係者も聞きたそうにライアンに目を向けた。
意外にも、その眼差しの中に、レオンとジョシュアも含まれていた。
ライアンは自分を遠くから眺めているように、目を宙に据えて、じっと考えた。
「実は..昔、古い友人に教わったんです。そのおかげで、建物の仕組みや設計図が自然と頭に浮かんで……その時の知識がここで役立ってよかったです」
「才能が開花したってわけだ…」
実業家は好奇の眼差しを向けて、目を細めて笑った。
「その古いご友人に僕も会ってみたいなぁ。興味が湧いたよ。紹介してもらえないかな?」
内緒話をするかのように、ライアンに呟いた。
_城の拡大工事を任された時の記憶が役立っているだけなんだが…
ライアンの前世、つまりエドワードだった時のことだ。前世の記憶と経験が役に立ったなんて誰が想像できるだろう。悟られることは絶対にないが、話を聞いていたレオンは何か言いたげに口を開いた。
「その友人、今は遠いところにいてなかなか会えないんです。とても静かな暮らしを望んでいる人で....
僕達も今は連絡をとっていないんです」
レオンが少し困った表情で微笑みながら言うと、実業家は、ふむ、と顎に手を添えた。
「そっか。それなら仕方がない。
だけど…ホテルの設計図を見せたらきっとご友人は、自分の教えが君の仕事の役に立ったことを誇りに思うはずだよ」
レオンのフォローにライアンはほっとした。
「ありがとうございます」
彼の目に親しみ深い光が宿りつつ、立ち上がりライアンの席まで近づくと、右手を差し出した。
「君が独自で担当した東部にある美術館も、近々見に行くつもりだ。
来年の春のオープニングセレモニーで、君の成果が多くの人に認められることを願っている。その時にみんなでまた集まろう」
「…ぜひ。…と、言いたいところですが…」
「?」
「春になる頃には___に行くことになっています。なので、次は約束できません」
「それってつまり…」実業家がライアンの言葉に目をぱちくりさせる。
思いがけない知らせに、後ろではジョシュアが瞬きすら忘れた顔で、ライアンを見ている。
「今、なんて…おっしゃいました…?!」
「だから…___」
あっけらかんと言うライアンの態度に、レオンのグラスを握る手が震え、テーブルを挟んで険悪な空気が流れ出した。
「…なので、プロジェクトメンバーに私の名前は除外しておいてください」
曖昧な返事を寄越したライアンは、なにかを吹っ切るように、はあっと短い吐息をついた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!