全ての水が地上を去り、あるべきところへと還った時、私の国はなくなっていた。栄えていた街も、ジッグラトも、ヤギを育てた牧草地帯も、ただ平坦な荒れ地に還っていた。まあそれでも十分驚く内容だと思うけど、それよりもショッキングな光景を私は目にしてしまった。この時の私はまだ人間だったけど、シンとエンキさんは既に今の私と同じ存在だった。そんな何をしても死なないはずのエンキさんは、全身から血を流して死んでいた。いったい何があったのかは分からない。後で調べてみたけれど、内出血による死亡なのは分かっても、何が原因で内出血を起こしたのかまでは分からなかった。あの日から、私たちにも何らかの死があると判明した。私にとってそれは希望として、存在し続けている。
午後になると、ボランティア同士で結構話したりする機会が多くなってくる。私のところには、外見もあってか大学生くらいの子たちが集まってくる。アルバイトが休みだから、旅行もかねてやってきたなんて話してくれる子もいた。私もとりあえず話を合わせておく。通過儀礼は行っていないけれど、自分も成人とされる年齢は一応超えている。なんだか子ども扱いされているみたいで落ち着かない。之でも大人だって声を上げるくらいなら、適当に合わせていた方が楽なのだ。アンドレイは、そんなことないかもしれないが。
「あんましゃべってるとほかのやってる人の迷惑になっちゃうかもしれないし、そろそろ作業に戻ろうよ」
私はそう提案して、スコップで地面を掘っていく作業に戻った。本当に植えなおすくらいなら最初から開拓なんかしなければいいのに、なんて思ってしまうけど当時と今の事情は違う。あのころはいくらでも土地を切り開いても何ら問題もなかった。まだ人類はオゾンの壁を壊せなかったし、あの手の人数が木を切っても、森は無限に存在していたのだ。でも今は違う。どこも最適を超過したほどに人があふれかえっていて、技術のために広大な土地を切り開いてしまう。それで木を切りすぎてしまっているらしい。人類がどうなろうと最近は興味ないやと思ってきてるけれど、森に逃げ込みたいときに森がありませんは困る。将来の自分のためと思っておくしかない。それでも穴を掘って木の苗を植えていくのなんて景色が同じで飽きてしまうので、アンドレイはさぼらずにやっているだろうかとあたりを見回してみると、アンドレイの姿がない。あのアンドレイの甥とかいう青年の姿も念のため探してみるが、どうも見当たらない。もしかしたら二人しかいない空間に誘い出されたのかもしれない、そんな思考が頭の中で成立する。アンドレイも自分の今の状態をばらしてしまうほどに素人じゃないとは思うけれど、もしかしたら故郷に連れ戻されてしまうかもしれない。それだけはどうしても許せなかった。多分、アンドレイが自分たちを仲間として認めてくれたからだ。アトラはスコップを地面に突き刺すと、携帯に電話がかかってきたふりをして
「あーもしもし?困ってるの?教えてあげるから今そっち行くねー」
そのまま携帯をポケットに入れると、周りの学生の子に半ば強引に行ってくると押し通して、人目につかなさそうな場所を探してみる。昼休みに一緒に話していたあたりにも、ボランティアの休憩所近くにも、アンドレイはおろかナーヴィもいなかった。奇襲された可能性もあったけれど、アンドレイが素人の攻撃に負けるとは考えられない。そうやって人のいないところを中心に探していると、男性二人が言い争っているような声がしてきた。変に姿を現すわけにもいかないと思うので少し離れたところにしゃがんで、少し見渡しただけじゃ二人からは見えないようにしておく。
「やっぱりあなたですよね?さっきはあの方がいたので引きましたが、どうなんですか。答えてください」
「さっき言ったまでです。迷惑なのでやめていただけませんか?」
「僕だって家族の顔を忘れたりはしません。父がどれほどあなたを心配していたと思いますか?」
「私はその方とは他人です。そのような話をされても困ります」
「確かに僕の記憶の中よりもあなたは若く見える。それでも間違えたりはしていないと思っています。あなたに一体何があったのかも、あの少年は何者なのかもわかりません。それでも、父に伝えたいんです。あなたが生きてて、困っている様子も特にないって。本当に関係のない方なら謝ります。これで最後にするので、どうか教えてください」
その言葉を聞いたとき、私はすでにアンドレイとナーヴィのいる方へと走り出していた。普通に考えてこんなことをするのは間違っていると理性は判断している。それでも私の足はとまることはない。アンドレイとナーヴィの反対色の瞳が駆けてきた私を驚愕で見つめてくる。そのままナーヴィが何か話し出そうとする前に、私は声を滑らせるように外へと流しだす。
「アンドレイもういいよ、教えてあげれば。そいつは別に君の正体を暴こうってわけじゃなんだからさ、伝えられるところまで伝えてあげて」
アンドレイはナーヴィに向き合う。背の高いナーヴィと比べると、アンドレイもスタイルは悪くないと思っていたけれどこう見るとナーヴィのほうがスタイル良いかもしれない。
「やっぱり、あなたなんですね」
ナーヴィは確信を持ったかのような目でアンドレイを見つめ返す。アンドレイは私の方をちらりと見ると頷き
「訳あって今の身分は明かせないが、そうだ。公的には死亡しているし、人前に出れる役職にもないが、兄さんには生きていると報告しておいてくれ。まだそちらには行けそうにもない、とも。イヴァンにも伝えてもらえるとありがたい」
ナーヴィはそれに対して深くうなずいて
「分かりました。あなたが生きててくれて、本当に良かった。父もイヴァンさんも喜ぶと思います。それと、またいつか今やっている何かが終わったら、いつでも家に戻ってきてください。もう僕たちしかいませんが待っていますから」
ナーヴィは多分泣くことをこらえている。まあ一社会人がこんなところで泣くわけにはいかないからね。そして私の方を見て軽く会釈をくれると、今度はアンドレイにボランティア協会の代表として皆の前でしゃべっていた時のように向き直る。
「お話を聞かせていただき、ありがとうございます。お二人とも、活動に戻ってください。当ボランティアは世界の70の地域で植樹活動を行っております。また機会があれば」
そう言って去っていく。その背中を私は何も言わずに眺めているくらいしかできなかった。背中で語るとかいう言葉は聞いたことはあるが、背中で何を言っているのかなんて全く分からない。でもなんか満足したように見えた。きっとアンドレイのことが知れたからだろう。
「念のため、こちらの正体を明かさない形で伝えたが、一体どうしてあれほど秘匿しようとしていた内容の開示を?」
「そうだねー、隠しすぎると身辺調査とかしてきて面倒かなって思ったってだけだよ」
アンドレイはそうですか、と短く返事をする。命令は絶対順守を守り続けていたんだなってのが分かるくらいに余計な詮索はしてこない。少し思考を巡らせれば何かほかに事情がある可能性も見いだせるかもしれないのに。でもそうしないところも、けっこう嫌いじゃない。
「そろそろ作業に戻ろ、みんな多分心配してると思うし」
私が歩き始めると、アンドレイもついてきてくれた。仲間って感じがして、なかなか楽しい。
その後、私は学生で長期休暇にボランティアをしている皆に、アンドレイはなんか吹っ切れた様子のナーヴィに話しかけられながら、一日のボランティア活動を何とか終わらせることが出来た。終了時刻になると、ナーヴィがねぎらいの言葉やボランティア協会の概要、植樹が地球にどんな影響をもたらしてくれるかなどをもう一度説明して終了となった。帰り道もアンドレイがなんとしっかり調べてくれているみたいなので、予定してくれた時刻の電車に乗って帰ることになった。観光客くらいしか電車なんて使わないからか、そこそこ空いているので座ることが出来た。アンドレイは座ったまま呆然としているみたいだった。そんなに植樹がつかれただろうか。まあ、あまりやらない運動だったのは認めるけれど、そこまで体力のないやつだとも思ってなかった。見損なったとかそういうのはないけれど、どうしたんだろう、とは心配に思う。アンドレイは私の方をちらりと見ると、誰にも聞かれたくない話なのか、ロシア語でゆっくりと話し出す。
「私よりも先に、ナーヴィは死んでしまうのか?」
アンドレイは縋るように私を見ていた。少し目にかかった白い髪の向こうから、血のような赤い目が何か人間とは異なる雰囲気を醸し出している。まるで飢えた野生動物のような。
「そうだよ、ナーヴィは人間だからね。私たちが数十年以内に死ぬ方法を見つけ出せれば話は別だけど、そうでもない限り彼の方が先に死ぬ。もしかして、今更気づいたの」
ロシア語でそう返答する。アンドレイも私がロシア語も話せると分かったのか、すらすらと話し出す。
「いいや、以前から理解していたつもりではあったが、ああやって実際に親族に会ってみるとどうともいえない。悲しいような気もするが、そんなことは言ってられないのだろう」
かつてロシアの貴族相手に東方のレアアイテムを売りつけていた日々を考えながら、私はそうそうとその言葉に答えて
「どれだけ心に来ても精神崩壊されても困るからね。なんならそういう気持ちを人間のまま感じて折り合いつけたいなら、あの彼殺してあげよっか。素人に見えるし、なるべく一撃で仕留められるようにするよ」
アンドレイは私に明確に敵意を向けてくる。でも何か言うつもりはないらしい。セレンからはところ構わず切れてくるって言われてたけど、私たちと会って、成長してくれたのかもしれない。
「どうする?君が殺したいんだったら、協力するよ。どうしたい?悲しみは早めに終わりにしちゃいたい?」
「それがあなたの家族だった場合を考えてくれ」
怒りを込めて、アンドレイがそういってくる。そんな気はしていたけれど、私の大切なものはよく知ってるみたいだ。
「出来ると思うよ。そうする前に家族は死んじゃったし、悲しんでる暇もなかったけど。それに、私に殺されるならあの人も何も言わなかったと思う。勝てるのかが問題だけどね」
仮に殺しにかかっても、簡単に返り討ちにされてしまっていただろう。だからできる。あの人に殺されるのならむしろ喜んでそうする。それくらいに尊敬できる立派な存在だった。アンドレイには五千年かかっても絶対に理解できない。理解させてたまるか。
「私はやめておきます。確かに私よりも先に彼が死ぬのは悲しいことだが、それよりも彼には幸せに生きてほしいし、平和な世の中に生まれたんだからその権利もある。それを私の都合で断ち切るようなことはしたくないよ」
アンドレイは半ばあきらめたかのように笑みを浮かべる。あまり笑わないって認識してたから、ちょっと意外に思った。
「優しいんだね。威嚇射撃なしで撃ってきてたとかいう噂の人とは、到底思えないよ」
「彼は敵ではないからな。隣人は大切な存在で、敵とは明確に区別される」
「じゃあさ、私は隣人?」
「どうだろうな」
アンドレイは私をからかっているらしい。それは何となくわかった。普通にシンやアレクシアにからかわれると腹が立つが、今の間だけはアンドレイが信用してくれているみたいで楽しかった。多分、数十年でいらだちに代わってしまうけれどね。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。