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2019/09/01

第12話

小さな世界
凪音柚葉
凪音柚葉
ただいまー
そう言って、私は扉を開けた。
柚葉の母
おかえり柚葉。おやつ食べる?
お母さんがリビングの扉から顔を覗かせた。
お母さんの娘である『凪音柚葉』は、断る時でさえも、言葉を選ばなければいけないのだ。
凪音柚葉
凪音柚葉
いいよ、部活大変で、ちょっと食欲がないから。ありがと
にっこりと微笑わらって答える。
柚葉の母
あら、そう?
凪音柚葉
凪音柚葉
うん!夕食まで勉強しとくね
柚葉の母
そう、頑張ってね
そう笑って言うとお母さんはパタンと扉を閉めた。
凪音柚葉
凪音柚葉
はあ…
小さく溜息を零した。
面倒くさい、というのが本音だった。
おやつなんか、いらないのに。


私の家は、高層マンションの上層部だ。
私の部屋まで行くのに階段を登らなくていいのは嬉しいのだが、今みたいに学校から帰ってくる時はエレベーターを使えるけれど、災害時とかは階段を使わなきゃいけない。ちなみにこの私の家は30階だ。
何それ地獄?という心の声は心の中に閉まっておくことにしよう。
自分の部屋に入って、リュックを下ろし、ソファに座り、ソファの付属の机の上に置いておいた、自分のスマホを手に取る。
凪音柚葉
凪音柚葉
あ、くろだ
呟いて、近くのクッションを抱え込む。
イルカのクッションで、私のお気に入りだ。
黒猫
黒猫
やっほー!
凪、元気ー?
今日僕の学校さ、定期テストだったんだけど!
やっぱり、『くろ』こと黒猫から、1通のメッセージが届いていた。

私とくろは、ある小説投稿サイトで出会った。
お互いの小説を見てアドバイスをし合ったことで仲良くなった、私の友達だ。
今では、毎日コミニュケーションアプリで会話している、遠く離れた私の理解者だ。
男子だけど、アイコンは、紫がかった黒く長い髪に緑色の瞳の猫耳つきでセーラー服を着た美少女だ。
自分で書いたらしい。その画力を私に頂戴…。
もちろん、黒猫が本名ではない。
ペンネームというやつだ。
ちなみに私は『なぎ』にしている。
ネーミングセンスの無さが溢れている。
凪音柚葉
凪音柚葉
今日もいつも通りだよ。
え、やばくない?
勉強は?したの?
そうメッセージを送信するとすぐにスマホが鳴る。
黒猫
黒猫
え?する訳ないじゃん何言ってんの?
凪音柚葉
凪音柚葉
それはさすがにやばいでしょ…
黒猫
黒猫
それな。それ僕も思うわー
凪音柚葉
凪音柚葉
テスト返されるのが楽しみだね
黒猫
黒猫
凪ドSか!
凪音柚葉
凪音柚葉
違うって
くす、と微笑む。
やっぱり、くろと話すのは楽しい。



学校が、つまらない。
雪川くんと話さなくなって、もう何ヶ月も過ぎた。
もう、季節は春に変わっている。
雪川くんと出会って、何度目の春だろうか。
数えようとして、溜息をついた。





何が、かは分からないけれど。
きっと、私の何かが雪川くんを傷つけてしまった。
それだけは、変わらない。





もう1度溜息をつく。深く深く。
胸の中の全てを吐き出すみたいに。



『私』は、誰なんだろう。
クラスの中での、人気者の『凪音柚葉』
家族の中での、いい娘の『凪音柚葉』
くろの前での、明るい親友としての『凪音柚葉』





雪川くんの前での、うつくしくない世界に負けない強さを持つ人の『凪音柚葉』







私は、一体、誰なんだろう。
何が、本物なんだろう。







私ー凪音柚葉は、小さい頃から、周りの、理想の『凪音柚葉』に合わせて生きてきた。
そうすれば、居場所がなくなることはないから。
大嘘つき。
その言葉が、私に1番似合うと思う。
自分の思ったことを封じ込めて、自分の言葉を隠して、嘘をつき続けた。
いつしか、私は誰だか分からなくなった。






ー嘘つきの苦悩を、知っているだろうか。 
まあ、知る訳がないだろう。
私曰く、嘘つきは『自分』を知らない。




深く沈んだ思考に被せるように、スマホが、ぴろん!と元気に鳴った。
こっちの気も知らずにスマホは呑気だった。
黒猫
黒猫
ねえ、最近凪、元気なくない?
うぐ。
…変な音が喉から出てきた。
凪音柚葉
凪音柚葉
そんなことないって
黒猫
黒猫
うっそだー!だって凪、僕と何年の付き合いだと思ってんの?
凪音柚葉
凪音柚葉
1年ちょっとだけでしょ
黒猫
黒猫
…冷たくない?
凪音柚葉
凪音柚葉
いつも通りだよ
黒猫
黒猫
…もしかして好きな人と何かあった?
ぐは。
…またまた喉から変な音が出てしまった。
どこいった、私の女子力。
帰ってこい、私の女子力…。
黒猫
黒猫
あ、やっぱり?
沈黙を肯定と捉えたのか、くろが、ニヤニヤした、何かのキャラのスタンプもついでに送ってくる。
凪音柚葉
凪音柚葉
違うし。…合ってるけど
1度だけ抵抗を試みた。
凪音柚葉
凪音柚葉
…でも、私の何かが、その人を傷つけちゃったの。だから、私は雪川くんと一緒にいちゃいけないの
少しの間を空けて、またスマホが鳴った。
黒猫
黒猫
違うよ、それは
虚をつかれた。
くろには珍しい、強い言葉だった。
いつも、悪く言えば飄々としているくろとは少し様子が違った。
いつも明るく、私の悩みを軽くしてくれる、いつものくろとは。


ああ。
気づいた。


私は、まだ、くろのことを全然知らないんだ。
好きな食べ物も、好きなアニメも、趣味も。
小説を書き始めたきっかけも。
そして、何で、絶望の底にいた私に手を差し伸べてくれたのかも。



雪川くんも、そうだ。
たとえ、私が、雪川くんを傷つけてしまうとしても、話さなければ、互いを知ろうとしなければ。





ずっとずっと、私達は交われないままなのだ。
あの音楽室のベランダで出会ってから、私達の時は止まったままだったのだ。


私達は、まだー


黒猫
黒猫
きっと、話さなきゃ伝わらないよ。
その雪川くんとやらが傷ついても、凪が傷ついても、互いを知ることを諦めたらそれで終わりなんだよ。
傷ついても、雪川くんと一緒にいることを諦めたらもう凪達は交われない。
ー凪も、分かってるんでしょ?
ぴろん!
元気にスマホが鳴った。
見て、目を見開いた。
奈緒からだった。
内容を見て、また急いでくろにメッセージを送る。
凪音柚葉
凪音柚葉
ありがとう、くろ。
私、今から会いに行ってくるよ
黒猫
黒猫
それがいい。
ー頑張ってね
凪音柚葉
凪音柚葉
ーうん、ありがとう、いつも



ありがとう。大嘘つきの私を、想ってくれて。



黒猫
黒猫
行ってきな
私の背中を押すように、くろが言った。



あーあ、凪が盗られちゃったみたい、と少し悔しそうに呟いたのは、黒猫という名前の仮面を被った、ある1人の少年しか知らないことだ。
凪音柚葉
凪音柚葉
ありがとう、くろ。
ー行ってきます
くろに言う代わりに、そう呟いた。
部屋を飛び出して、私はリビングにいるお母さんにも聞こえるように大きな声で言う。
凪音柚葉
凪音柚葉
数学の教科書持って帰るの忘れたから学校まで取りに行くね!
柚葉の母
もう5時になるけど大丈夫なの?
リビングからお母さんが出てきてそう言う。
靴を履きながら、私は答える。
凪音柚葉
凪音柚葉
大丈夫。…後海したくないから
柚葉の母
…そう、なら気をつけてね
微笑みと共に紡がれた言葉を背に、私は玄関の扉を開けて駆け出した。
凪音柚葉
凪音柚葉
行ってきます!


ポケットに入った、スマホの微かな重みを感じながらエレベーターまで走る。
丁度良くエレベーターが止まっていて良かった。
迷わず1階のボタンを押す。
奈緒から来たメッセージは、こんなものだった。
七瀬奈緒
七瀬奈緒
今から葵くんが、『最後のお別れ』をしに行くって言ってて…。
どこだかは分からないんだけど、柚葉ちゃんに関係することだと思うの。
お願い、葵くんを助けてあげて
奈緒は、私が小さい頃から通っていたピアノ教室に同じ時期に入った。
だからもちろん、まあまあ仲も良くて。
けど、私は、奈緒がいじめられていることを知りながら何もしないでいた。
それなのに。
こんな私を、信じてくれた。
私でも、雪川くんを助けられると。
だから、応えたい。
そう思うのは、きっと間違いじゃない。


さあ、行こう。私達のはじまりの場所へ。
私達の、あの小さな世界の時を進めよう。




君と交わる世界を思い描きながら、私は走った。