凍鬼が去った翌朝、百鬼の湯はいつもより澄んでいた。
お澄は湯面に映る自分の顔を見つめて、小さく微笑む。
昨日までの冷たい空気は消え、柔らかな湯気が朝日を包んでいる。
お澄が手を浸すと、湯が静かに光って応える。
“おはよう”とでも言うように。
娘鞠が桶の上で伸びをしていた。
水湧も鼻の皿を撫でながらうなずく。
座京は湯気の奥から現れ、静かに言った。
お澄は慌てて手を振る。頬がほんのり赤い。
娘鞠がにやりと笑う。
その言葉を繰り返したとき、背後から幻蔵の声がした。
湯屋の主が湯気をかき分けて現れる。
お澄の瞳が大きく見開かれる。
幻蔵はゆっくりと頷き、掌を湯にかざした。
湯面に光の花が咲き、その中心から小さな湯玉が浮かび上がる。
お澄は両手でその珠を受け取った。
指先がじんわり温かくなる。まるで湯そのものの鼓動を感じるようだった。
幻蔵の目が細く笑う。
娘鞠がしっぽをふりふりさせながら、ぱちぱちと手を叩く。
水湧が桶を持ち上げて笑う。
笑い声が湯屋いっぱいに広がる。
静兎がその様子を少し離れたところから見ていた。
座京が小さく頷く。
お澄は湯の珠を胸元に抱き、そっと目を閉じた。
湯の奥から、優しい声が聞こえる。
――ありがとう。今日も、ここに灯を。
外では、妖怪達が銭湯の暖簾をくぐってくる。
「おや、今日は一段と湯気がいい匂いだなぁ!」
「番台の嬢ちゃん、笑顔が眩しいねぇ!」
お澄は頬を赤らめ、笑って答える。
妖の笑い声が交わり、湯気が光を帯びて揺れた。
その中心で、お澄の胸の湯守の珠が、かすかに温かく輝いている。
――今日も湯は、生きている。
――そして、お澄もまた、湯と共に生きている。
日が沈むころ、湯屋の灯がともる。
お澄は番台から湯を見つめ、そっと微笑んだ。
湯気がふわりと揺れ、まるで応えるように湯面がきらめいた。


















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!