その日の夜、
病室を満たしていたのは、かつてないほどの濃密な死の気配だった
死神である俺にとって、
それは "仕事" の開始を告げる呼び鈴のようなものだ
だが、今の俺にとってその響きは、
胃の底を泥で掻き回されるような不快感を伴っていた
ベッド横の椅子に座り、
彼女の手を握っていた俺の手が、
微かに震えたのをるきなは見逃さなかった
彼女の背中の羽は、
今やシーツを何枚重ねても隠しきれないほど大きく、
鋭利な輝きを放っている
高熱のせいで、彼女の呼吸は浅く、熱い
るきなは力なく微笑み、俺の指をそっと包み込んだ
その指先の熱が、
俺に "死神" であることを忘れさせようとする
けれど、俺の脳裏には冷徹な神の命令が響き渡っている
俺は自分でも驚くような提案をしていた
彼女を一人にしておくのが不安だったのもある
だがそれ以上に、
俺という存在の "正体" を、その残酷な真実を、
彼女に知っておいて欲しかったのかもしれない
俺は彼女を抱き上げ、夜の闇へと飛び出した
数分後、俺たちが降り立ったのは、
華やかな繁華街を見下ろすビルの屋上だった
そこには一人の青年が、欄干に寄りかかって夜空を見上げていた
彼の背中には、るきなと同じ、天使病の羽が大きく広がっている
俺が指を鳴らすと、
周囲の時間が止まったかのように静まり返った
俺の右手に、
死神の象徴である銀のメス "剥離の刃" が実体化する
青年が叫び声を上げた
だが、それは俺の姿が見えたからではない
俺が彼の背後の羽に、容赦なく刃を立てたからだ
「ザシュッ」という、生々しい肉を裂く音
るきなが息を呑むのがわかった
俺は感情を殺し、慣れた手つきで羽の根元を切り離していく
純白の羽が夜空に舞い散る中、
羽を失った青年はバランスを崩し、欄干の向こう側
奈落の底へと真っ逆さまに落ちていった
るきなが叫ぶ
階下には、青年の名を泣きながら呼んでいた恋人らしき女性がいた
彼女が手を伸ばせば、彼は助かる
それがこの病の唯一の救済ルールだ
"だが"
落ちてくる青年の、
異形な "死" の間近な姿を見て、女性は悲鳴を上げて後ずさりした
彼女は自分の恋人を受け止めることよりも、
自分の身を守ることを選んだのだ
「ドサッ」
鈍い音が響き、全てが終わった
るきなは顔を覆って泣き崩れた
俺は血のついていない方の手で、彼女の肩を強く抱き寄せる
俺はわざと冷たく言い放った
彼女に絶望してほしかった
"人間なんて信じるな、俺だけを頼れ、俺だけを愛せ"
そうすれば、お前を落としたりしない
るきなは、震える瞳で俺を見上げた
その問いに、俺は答えることができなかった
俺が彼女を救うということは、
神のルールを破るということだ
それは、俺という存在の消滅を意味する
受け止めれば俺が消え、受け止めなければ彼女が死ぬ
夜風が、二人の間に冷たく吹き抜けた
俺は彼女を抱きしめる力を強めることしかできなかった
まるで、そうすることでしか、
迫りくる運命から彼女を隠せないと信じている愚かな人間のように













編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。