第4話

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2018/08/03 19:19
父、泰弘の住む家は、札幌市内にある、こぢんまりとした可愛らしい二階建ての一軒家だ
『中野泰弘』の表札に、『あなた』が足されてる
私は、白い息を吐きながら、学校から帰ってきた
お気に入りの赤いダッフルコートを着込んでいても、かなり寒い
やっぱり東京とは、ぜんぜん違う
私が表札を横目に見ながらガレージまで行くと、父と一緒に、見しらぬ人と犬がいた
同じ年くらいの男の子と、それから、まあなんて大きな犬……あれは多分、ゴールデンレトリーバー
あなた

ただいまぁ

とりあえず父に声をかける
泰弘
あなたちゃん、お帰り
優しく微笑む泰弘の横で
藤井流星
おかえりなさーい
男の子が太陽のように笑った
あなた

え?

私は、じっと彼を見つめる
ひょろりと背が高くて、柔らかそうな無造作ヘア
薄着で、マフラーはしているものの、この冬空に素足に靴
時折咳き込みながらも、にこにこと笑ってる
寒そうなのに、その笑顔だけは本当に明るい陽射しのようで、屈託がない
カッコいいというよりも、可愛らしい感じ
あなた

あの……

戸惑う私に、泰弘が言った
泰弘
あっ、ご近所の流星君と、飼い犬のスミレだよ。流星君、こっち娘のあなたちゃん
あなた

流……星?

ちょっと待て。確か、どこかで、その名前
いやいやまさか
藤井流星
おじさん、子供いたんだ
人懐っこい様子で、流星が泰弘に聞いている
泰弘が嬉しそうに答えた
泰弘
別れた奥さんとこにいたんだけど、また一緒に暮らすことになって。めんこしょ、うちの娘
ひゃーと私は内心で声をあげる
なんてことを言うのだ
あなた

ちょ、ちょっと、お父さん

流星はにこにこ笑いながら、じっと私を見つめた
藤井流星
その制服、うちの学校のだね
どきどきする……この笑顔
優しくて、どこか儚いような佇まい
見つめられ、息が苦しくなるような気さえする
私は彼の前に座り込むとぜんぜん関係ない事を言った
あなた

……あ、足首

藤井流星
え?
あなた

寒いなら、足首あっためないと

流星は軽く目をみはってから、にこにこしたまま答える
藤井流星
あ、うん
僕、靴下が死ぬほど嫌いなんだ
そうなのか
私は返す言葉も忘れて、ただひたすら、流星を見つめ返す
どうしてだろう
目が離せない
初対面の男の子の、この笑顔から……
その時だ
小瀧望
流星ーーーーーーーーーっ!
あの不愉快な声が響いたのは
ギョッとして声がした方向を見るとあいつがいる!
今日の昼間、転校生の私にむき出しの敵意を向けてきた、あの猛獣
確か名前は、小瀧望
それが、当たり前のように、こちらにやってくるではないか
しかも、
藤井流星
おーい、望ー
流星が、嬉しそうに手をあげて彼を呼んでいる
走り寄ってきた望は、流星を前にして安堵したような表情を浮かべたが、隣で固まっている私に気づくなり、再び険しい顔をした
小瀧望
お、おまえ!何でここにいる!
私は、しれっと答えてやる
あなた

だってここ、あたしの家だもん

文句あるか
すると、望は目を見開いた
小瀧望
何だと!
険悪な空気を察してか、まったく気づかないのか、流星がのほほんとした言葉を挟む
藤井流星
あれ、二人、友達だったんだね
小瀧望
友達なんかじゃねぇし!
そんな力一杯否定しなくても、こっちからお断りだわ
私も負けじと望を睨みつけた
流星は不思議そうに小首を傾げている
小瀧望
流星、帰るべ!
望は、不愉快きわまりないといった様子で背を向けると、立ち去ってゆく
その背にあっかんべぇをしたいのを私はこらえた
流星が申し訳なさそうに、
藤井流星
ごめんね
と謝ったからだ
すると、望が振り返り、
小瀧望
流星!
と急かす
流星は苦笑いし、犬のスミレのリードを掴んだ
藤井流星
したっけ、また明日学校で
そう言って望を追いかけてゆく
あなた

?しい……たけ?

この「したっけ」というのは北海道の方言で、「またね」という意味だと知ったのは後のことだった
とにかくこの時、私はしばらく放心状態だったが、慌てて声をあげた
あなた

あ、明日学校で

流星と望が振り返る
流星は、もう本当に見とれるような笑顔だ
一方、望はあっかんべぇをしている
あ、あいつ!こっちはやろうと思ったけど我慢したというのに
そんな望は、気遣うように、自分のジャケットを流星にかけてやっている
何よ、その態度の差
望に対する悔しさと腹立たしさ、それから……
流星の笑顔がいつまでも脳裏に焼き付いていて、落ち着かないこの気持ち

(たとえば恋に落ちるとかかな!)

読んだ時は薄っぺらく感じて、視界を滑り落ちていったような、母のメールの一文を、唐突に思い出した
あなた

……おちる?

恋に落ちる?
いつも、どこにも居場所がなくて、家でも学校でも脇役にしか過ぎなかったあたしが?
そんなことって、本当にあるの?
でも、もしかしたら、ここでなら、新しい居場所を見つける事ができるのかもしれない
そんな嬉しい予感を胸に、私はしばらくの間、去って行く二人の背中を見つめていた

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