出会いの日の翌日、『水彩画で見る山の植物 春~夏』という本を持って桜の木の下で待つ僕の元に、薫さんはちゃんとやってきました。
山にはあまり行かないから、と言って物珍しそうに本の中の山の植物を眺めていました。
それからというもの、薫さんと僕はいつも同じ桜の木の下で、お昼休みに会うようになりました。大体は、僕が植物の本や写真を持ってきて、薫さんがそれを見ておしゃべりするだけ。
いつだったか、つまらなくないか問いかけたことがありましたが、「キミの話で私の世界が広がってる気がするから楽しいよ」と何とも不思議な返答をされてしまいました。
「中学3年生なら、受験か」
夏休みに入る前日に、薫さんが急に言い出しました。
「どこの高校に行きたいの?何かやりたいことはあるの?」
「まだ、やりたいことが分からなくて……適当に学力に合った高校を選びます」
僕の性格ではどこに行っても浮きそうだったから、せめて勉強は追いついていけるくらいの高校にしようと思っていたのです。
「もったいないなぁ。植物博士とかになればいいのに」
植物博士。
小さい頃によく言われたことでした。
でも今はそんなアバウトな職業がある訳でも無いことや研究者になるための大変さ、不安定さを充分知っています。
「植物博士は夢見すぎじゃないですか」
苦笑して言うと薫さんは「そうかなあ」と膝に顔を埋めて拗ねるフリをしました。
薫さんは大人びているのにたまに子供っぽい。
「そういえば、薫さんっていくつなんですか?高校生……にも見えるけど」
薫さんは少し驚いた顔になって僕の方を見ました。何かまずいことを聞いてしまったのでしょうか。
「ご、ごめんなさい。もし何か気に触ったら……」
「ううん、大丈夫だよ。いやーずいぶん若く見られたなー」
ずいぶん若く?
薫さんは無理に年上に見てもせいぜい大学生くらいだ。
いまいち最後の言葉を飲み込めないまま、昼休み終わりの予鈴が鳴る。
「ほらほら、次の授業に遅れちゃうぞ?
良い夏休みを!」
さっきの言葉を誤魔化すように薫さんは僕を急かします。
校庭の真ん中辺りから振り返ると、桜の木の下で薫さんは少し寂しそうに手を振っていました。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。