【涼し気な音は夕空に】
暮れ行く日を眺めながら、少しばかり今日への名残惜しさを息として吐き出す。凡庸でつまらなくて、でも何処か愛おしくて大切に想っているような一日は、何故こんなにも呆気なく終えてしまうのか。
長閑な町で開かれた、夏祭りの喧騒から逃れるように歩いてきてしまったのは、大多数の人々が集まる場所に行き慣れていないからだろうか。そうして、その足が導いた先は自分だけの穴場としてよく訪れる河川敷だった。
もうじき沈みきる夕日は心とは反して燃えているようで、酷な程に美しく思える。平坦な日常を、風物詩で彩るような祭の夜が始まるのは、この時だけなのだと思うとやけに嬉しくて、焦がれるような太陽に胸中で少し早い別れを告げた。
唐突に人の流れから外れたからか、静寂を濃く感じては心を寂然とさせてしまう。だが、そんな時にここへ来たのはうってつけだったかもしれない。遠くから聞こえてくる蛙の鳴き声も、鈴虫の聞き心地の良い音も、弛緩な冷えを孕んだ風も、鼓膜を泣きたくなる程優しく震わせてくれる。
動いた所為か、縛っていた紐から解れた髪が風の流れに沿って舞う。東方から何もかもを呑み込むように広がる空と同じ色をした髪は、ふわりと浮いては自然に弄ばれている。浅い湖と類似した色彩を持つ瞳には、どこか遠くが映し出されているようだ。
背丈以上に伸びた草がざわめきを鳴らすと、持っていた風鈴がチリンチリンと透き通るように綺麗な高音を響かせる。耳元で柔らかく聞かせてくれるそんな初夏ならではの音達が、心を落ち着かせてくれた。
太陽から溶けた茜色が漂う白雲さえ照り付けて、色付かせている。ふと見上げた宵の合図のように広がった藍が滲んだ空を、水彩画と見紛う。このまま、勘違いをしたまま見蕩れていたいと願うような感動が胸を打つ。薄雲でさえ色を乞うような美しき風景は、忘れてしまうくらいに刹那的な時間の内に全てが紺碧へと塗り変わる。
それに何でか切なくなって、目線を落とすと視界の端に誰かの影がポツリ。世迷言を零す空蝉の一介に、何か用事でもあるのだろうか。
「君も、夏の夜に焦がれに来たのかい?」
そう言って笑ったのは、感傷に浸り憂鬱を咬合して嚥下しただけの、孤独な人。ここに来て初めて震わせた声帯から出た声は、脆く水泡のような雰囲気を持ち合わせていた。それなのに全てを曖昧に濁すような、何も分からなくなるような声色で言葉を紡ぐ。
「…この場所は、秘密だよ」
微笑を崩さぬままにそんな言葉を置いては、再び風鈴の音を辺りに響かせる。それに気が付いた時にはもうその姿を、軒提灯が並ぶ夜の明かりへと溶かしていた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。