暁斗君は小さく微笑むと、ピアノに向かう。けれど私の頭の中ではさっき暁斗君に言われたこと、それから未冬ちゃんのおかげで気づいてしまった自分の中の感情の整理がつかず、どこか上の空のままだった。
暁斗君にも「今日は練習、やめとこうか」と言われ、久しぶりに殆ど練習することなく、自宅へと帰った。
ベッドに転がると、余計に今日のことを思い出してしまう。暁斗君の言葉に、もしかしたら、なんて期待をしてしまいそうになる。
けれどすぐに思い直す。暁斗君も言っていたけれど、幽霊なのだ。触れることすら叶わない。もしかしたら両想いかもしれない。でも、だとしてもどうなるというのだろう。いや、どうにもなんてならないことは私たちが一番良く知っていた。
――結局、この日の夜は上手く眠れなかった。
翌日、学校の昇降口から教室に行く途中、担任に呼び止められた
そういえば、あの日もこんなふうに声をかけられて、旧校舎の音楽室で練習することになったな、と思い出す。結果的には声が出るようになったのも、暁斗君と出会えたのも担任のおかげ、と言えるのかもしれない。そう思うと少しは感謝をするべきなのだろう――。
感謝しなければ、と思った私の心を打ち砕くような担任の言葉に、私は目の前が真っ暗になった。
それと旧校舎の音楽室の鍵を返すのに一体どういう関係が。喉元まで出かかった疑問の答えは、私が尋ねるよりも早く担任の口からついて出た。
ほら、と言いながら担任は手のひらを私に向ける。今すぐ返せというように。そして私がそうすることが当たり前だと言わんばかりに。
私はポケットに入れた鍵を――黒鍵と一緒にギュッと握りしめた。
そんなことを言われるなんて思ってもみなかったのか、驚いたような表情を浮かべると、担任は私に尋ね返す。教室に向かう生徒たちが、私たちをジロジロと見ながら廊下を歩いて行くけれど、気にしている余裕はなかった。
苦しい言い訳だとはわかっている。それなら他の教室でしたらいいと言われたらそれまでだ。でもそれぐらいあの場所を今すぐ取り上げられたくなくて必死だった。
暫く考えるように黙ったあと、担任は「仕方ないな」と呟いた。
話は終わりとばかりに、近くを通りかかった一年生に担任は声をかけた。どうやら顧問をしている数学研究部の生徒のようで、今日の部活について話し始めた。
頭を下げると私はその場をあとにした。
合唱コンクールが行われるのは文化祭一日目。つまり、今度の土曜日だ。今日火曜日なのでもう一週間もない。
同じ時間を生きることのできない暁斗君とは、いつかは必ず別れが来ると思っていた。でも、こんなに早くだなんて思ってもみなかった。
その日の授業中、何度も何度もそのことばかりを考え続けた。
放課後、私は旧校舎の音楽室へと向かう。想いを伝えようなんて思わない。でも、それでも少しでも暁斗君のそばにいたかった。
けれど、動揺はどうしても歌に出てしまう。
俯いて黙ってしまった私に、暁斗君は演奏の手を止めると、ふっと微笑んだ。
暁斗君は近くの席に座ると、私を手招く。
隣に座った私は、いつもとは違う距離に鼓動がうるさく鳴り響くのを感じる。
隣の席に座る暁斗君は、まるでクラスメイトのようで。もしも暁斗君が生きていれば、こうやって二人並んで授業を受けることができたのかな、とか授業中内緒話をして怒られたりすることもあったのかなとか考えただけで頬が緩み、それから胸が痛くなった。
そんなことは有り得ない。あり得るはずがない。だって、暁斗君は――。
薄らと向こう側が透けた私の好きな人は、隣の席で何かを考えるように頬杖を突いていた。















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。