誉田さんが扉を開ける。その先にはいつものようにピアノの前に座る暁斗君の姿があった。
みんなに見られてしまう。声を上げそうになった私に、暁斗君は口元に人差し指を当てた。
声に出さず言う暁斗君を信じて、私は口を閉じた。
褒めているというよりは馬鹿にしたような口調で誉田さん達は笑う。でもそんなことどうでもよかった。それよりも目の前にいる暁斗君の存在に、誉田さん達が気づかないことの方に安堵していた。どうやら私以外の人には暁斗君は見えていないようだった。
教室の窓際に置かれたピアノを指さして、誉田さん達は嬉しそうにそちらに向かった。ピアノの前に座っていた暁斗君は少し場所を移動するけれど、もちろん誉田さん達は気づかない。
未冬ちゃんは手を握りしめたままそう言ってくれるが、私は知っていた。私が貰った黒鍵はあのピアノとは別のピアノのものだということを。けれどそれと同時に、この旧校舎の音楽室のピアノも黒鍵が一つ外れているということを――。
ピアノの蓋を開けた誉田さんが嬉しそうに手を叩く。何を見せようとしているかなんて、見なくてもわかった。
声を揃えて何度も何度も「うそつき」と言われると、どんどん声が出せなくなる。俯く私の視界が、だんだん涙で滲んでいく。ぽたりと床に涙がこぼれ落ちたそのとき――。
私の手を握りしめていた未冬ちゃんの手が、そっと離れたのがわかった。
頭の中がひんやりと冷えていく。血の気が引くとはこういうことを言うのだと、こんなときなのにやけに冷静に思うのは、むしろこんなときだからなのかもしれない。
信じてもらえなかった、と悲しく思うのは思い上がりもいいところだと思う。信じてもらえるほどの関係を、私が築いてこなかっただけなのだから。
溢れる涙を手のひらで拭うとなんとか顔を上げた。――その時だった。
私の隣にいたはずの未冬ちゃんは、いつの間にかピアノのそばに行くと、誉田さんに話しかけていた。誉田さんは一瞬、戸惑ったような表情を浮かべたけれど、すぐに笑って黒鍵を未冬ちゃんに手渡した
キャハハと楽しげに笑う誉田さんたちを余所に、未冬ちゃんは受け取った黒鍵をマジマジと見た後、今度はピアノに視線を落とす。その姿に暁斗君は、私へと微笑みを浮かべて見せた。まるで「もう大丈夫だよ」と言わんばかりに。
ほら、と言ってみせた未冬ちゃんが何かをしたようで、その瞬間ピアノの周りにいた誉田さんたちが息を呑んだのがわかった。
私の位置からでは一体何が起きたのかわからない。そんな私を、暁斗君が手招きしてみせる。同じく、私が蚊帳の外になっているのに気づいた未冬ちゃんが私を呼んだ。
みんなの視線の先を追いかけると、鍵盤には一つだけ、ほんの僅かにだけどサイズが合わず浮き上がった状態の黒鍵があった。
悔しそうに睨みつける誉田さんに、未冬ちゃんは笑顔で尋ねる。
未冬ちゃんは振り返ると、いつの間にか音楽室を出て行こうとしていた誉田さんに言った。
投げ捨てるように謝ると、誉田さんは音楽室を飛び出して行く。そのあとを慌てて他の子達が追いかけて行く。
私は手渡された黒鍵を見ながら、目の前のピアノの黒鍵と見比べる。けれど、それらの差は全くわからない。
材質の差、なんて私にはまったくわからないけれど、現に目の前のピアノにこの黒鍵は入らなかった。
そういえば――。
暁斗君がそう言っていたのを思いだした。
思わずすぐそばにいる暁斗君の方を見ると、ニッコリ笑って頷いていた。
たしかにそれだとバレたときに断るのが面倒かもしれない。
遠くで休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り始めた。そろそろ戻らなくてはまずい。
私たちは慌てて音楽室をあとにしようとして――扉を閉める寸前、もう一度中を覗き込んだ。こちらを見ていた暁斗君は私に手を振った。
そんな暁斗君に頷くと、先に廊下を歩いていた未冬ちゃんを追いかける。
隣に並んだ私に、未冬ちゃんは黒鍵を握りしめた私の手を指さして言う。
頷いた私に、未冬ちゃんは微笑むと目を輝かせて言った。
その言葉に、私は思わず足を止めてしまっていた。

















編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。