第34話

参拾肆
352
2020/08/29 10:53
それは、何年か前までは望んでいた言葉だった気がする。
中島 春
……え?
────今、この医者ひとは何と言った?
医者
今までお疲れ様、春ちゃん。これでもうこの病棟辛い場所に来ることはないよ
……この病棟辛い場所…?来ることはない…?
中島 春
え…と……なん、て言ったか、分かんない、です
私は、口元を引き攣らせながら震える声で言った。
顔を上げ、服の裾を握り締める。

だって、そうじゃん。何で、どうして、今更…
医者
だからね、春ちゃんは完治したんだよ。退院できるの
─────足元が崩れ落ちる、音がした。





* * * * *




私はずっとずっと、病気が治ることを願っていた。

気が付いたら私はずっと病院にいたから、いつか薬がいらない体になって、外で走り回りたいと、七夕の短冊に何度も書いた。


でも、でも、それが、今叶うなんて聞いてない。

遅いよ。遅いよ。何でハルちゃんに出逢える前に叶ってくれなかったの?
何で今叶ってしまったの?

違うんだよ。今の私は、そんなこと望んでないよ。
望んでいるのは、ハルちゃんと一緒にいることだけだよ。

何でよ。何でよ。

今まで散々願ったのに叶えてくれなくて、なのに願わなくなったら今度は叶える?
おかしいよ。絶対におかしい。

どうして今なの?
神様は、私のことキライなの?

私はただ…
峯 遥香
あ、春ちゃん!おかえり!
中島 春
え…、あ…うん、ただいま
いつの間にか病室に戻っていた私に、ハルちゃんは読んでいた本を閉じてそう笑いかける。

栞には、あの写真を使っていた。
いつか見に行こうと約束した、海の写真。

私がハルちゃんに近付けずにいると、ハルちゃんは本を置いてこちらへ歩いてきてくれる。
あぁ、駄目だ。駄目だよ。
峯 遥香
長かったね。何かあったの?
───その言葉に、私は息を詰まらせた。

ねぇ、ハルちゃん。私、退院するよ。
完治したんだよ。もう病院には来ないの。
だから、さようなら。

そう、言えば良いのかな。でも、そんなの…
峯 遥香
…?春ちゃん?
中島 春
あ、あのね…私……
どうしよう。ハルちゃんの顔が見られない。
怖いよ。言いたくない。でも言わなきゃいけない。
中島 春
私…
中島 春
完治、したって
相当頑張って出したはずの声と言葉は、耳をかすめる程ばかりの小さなものだった。

あぁ、言っちゃった。

どうしようかな。私、走って病室出ていっちゃおうかな。
なんかもう、ハルちゃんの側にいるのが辛くなっちゃったかもしれない。

でも私、ハルちゃんの側にいたい。ずっと、ずっと。隣で笑っていたい。
だからさ、退院なんてしたくないよ。
まだ病気が治らないハルちゃんを、おいていけないよ。

嫌だな。嫌、だな…。
峯 遥香
そっ、か……うん。おめで、とう



──────あぁ、ほら。


こんな顔したハルちゃんをおいて、どこへ行くというの。


無理だよ。こんな悲しそうに笑うハルちゃんをおいて、自分だけがこの世界を抜け出すなんて、そんなの。


無理、なんだよ。

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