吸い込んだ空気から臭うのは、薬剤と、病院独特の匂い。もう、街の匂いなんて思い出せないから、病院以外の匂いがわからないけれど。多分、ジャンクフードの油っぽい匂いや人の体臭なんかで、大まかにいえば人工的な匂いなんだったような気がする。
最後に街に赴いたのは、二年近く前。梨緒とお揃いの服を買ったお店は今どんな服が入荷しているんだろう。ちょっと年季の入ったカフェはまだあるだろうか。病院の外の知りたいことは沢山ある。もっと、もっと色々なことを知りたい。行ったことがない場所に行って、沢山写真を撮って、旅行の感想を書くブログなんかを作ったりもしてみたい。
やりたいことも沢山あるのに。また、スタジアムに行きたい。大好きなサッカーチームの応援に行きたい。前みたいに声を出して騒ぎたい。知らない人とも仲良くなれるあの場所に行きたい。
自殺しようとしていた私が無理やり連れ出されて、連れていかれたスタジアム。そこで繰り広げられる、全力と全力のぶつかり合う光景に胸を打たれて、私は生きることを決めた。その光景が、とても格好よく、強くて美しくて、人間が持っている素敵な部分だけを映し出しているように見えたから。そうやって、私の命を救ってくれたあの場所で働いて、生涯を捧げるって決めたのに。
それなのに、私の担当医、佐野先生が告げたのは、私の余命が一年半だということだった。いつもみたいに、黒縁の眼鏡の奥から覗く、感情のなさそうな目で私を見ながら、静かに告げた。
私の診断された病気は硝子性欠陥症。人の記憶は、硝子のように一枚で纏められていて、それが何枚も何枚も連なって、生涯の思い出として記憶になる。硝子性欠陥症は、その記憶が、まるで硝子が割れるが如く、一部分が欠陥して、更に進行すると時間軸が分からなくなり、断片的にしか物事を思い出せなくなってしまうという。記憶はできても、時間が経てば忘れていく。今はまだ、過去の記憶が薄れていくだけ、つまり普通の人と同じ。だけれども、これから少しずつ記憶がなくなるのだと、佐野先生は告げた。
記憶の構成が判明したのも数年前で、それが硝子のようだとされたのはそれより後。硝子性欠陥症が解明されたのはそれの更に後。特効薬なんてものは存在しないし、硝子性欠陥症を患っている人は数少なく、データが圧倒的に足りない。そのため、今は不治の病とされている。これが発祥する理由もわからないままで、記憶障害の一部だと位置づけられているらしい。
佐野先生が硝子性欠陥症のことに詳しいのは、娘さんがそうだったから。娘さんが患っていた時は、病名でさえも付けられておらず、それこそ記憶障害として処理されたと言う。症例が判明してきた今でこそ、娘さんの病気が硝子性欠陥症だったとわかったのだが、それが今更判明したところでどうともならない。そう言った佐野先生の顔はいつも通りの無表情に見えたけど、今思い返せば悔しそうな顔にも見えた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。