私と羊頭の同居生活最終日――カウントダウン。
それは中々に長く、ハードなものだった。
このやり取りを何十回繰り返したのかわからない。
荷造り用の紐に足を絡めて、ダイナミック転倒。
みっちり本を詰め込み過ぎて、木箱崩壊。
部屋の出入口付近で荷物倒壊、出入り不能。
(羊頭は部屋に閉じ込められた)
数えればキリのないアクシデントの連続で、私の精神は見事に摩耗して行った。
しかしお陰で羊頭との別離に心痛める暇もないのが、せめてもの救いだ。
そして何とか荷物をまとめ終えたのは――まさかの夜更け。
作業後、私たちはキッチンに常備しているパンのみで空腹を紛らわせた。
そしていつも通り、食後は入浴。
これも概ねいつも通りの会話だ。
私は羊頭の希望通り、【いつも通りのゼル】を淡々とこなしていた。
*****
風呂上り、私は二階の寝室へと向かう。
普段は本と埃と蜘蛛の巣にまみれてごちゃごちゃとした部屋だが、荷造りを終えた今はがらんと殺風景な部屋に変貌を遂げていた。
部屋にあるのは荷造りを終えたいくつかの木箱。
それに元々備え付けられていた木製の机とベッドのみ。
何処となく寒々しい部屋で、私はベッドに腰掛け羊頭をぼんやりと待った。
風呂上りの羊頭が救急箱を片手に寝室へやって来る。
これもいつも通りのやり取りだ。
そして後は就寝、一日があっけなく終わる。
しかし何もかもが【いつも通り】で良いのだろうか?
ひとつくらいはイレギュラーな何かがあってもいいのではないか?
(引っ越し作業は除く)
そんなわけで最後の手当てが終わる頃、私はひとつの提案をしてみた。
羊頭は豆鉄砲を喰らった直後の鳩顔をして見せる。
別に最後の夜だから甘やかしてやろうとか、自棄で抱いてやろうとか、驚かせただけとか、そういう類の発言ではない。
常々『慎みを持て』と言い続けて来たが、この土壇場に来てそれを会得・披露してくるとは意外だった。
しかし今はそのやり取りをする時間が惜しい。
私たちに残された時間は僅かなのだから――。
手を差し伸べると羊頭は暫し戸惑い、恥じらい、そして恐る恐る私の手を取った。
最後の最後でこんな愛くるしい所作を見せ付けて来るとは、何処までも自分勝手な女である……。
*****
いくら小柄な女子供といえ、シングルベッドで二人は些か窮屈ではある。
私と羊頭は身を寄せ合い寝具に潜り込んでいた。
私が寝ている間、この女は一体私に何をしてくれていたのだろうか……。
私の言葉に羊頭は一瞬表情を輝かせ――そしてすぐさまションボリとする。
羊頭は口を尖らせると、もごもごと言葉を噛み砕く。
そして暫くすると、至極真面目な表情で私を見つめた。
私は何かに化ける時、その化けた対象に相応しい物言いや行動を取るよう心掛けている。
なので当然、一人称もその折々の姿で変えて来た。
それは誰も気付かない、ささやかな私のこだわりだった。
しかしどうやらこの羊頭、その差違に気付いていたらしい。
流石ルシファーが気に入るだけのことはある。
そのご褒美と言っては何だが、私は羊頭の希望に応えてやることにした。
世には他人の事情や過去に並々ならぬ興味を抱く、面倒なことこの上ない人間が少なからず存在する。
この羊頭もその部類の人間だったのだろうか……。
どちらかといえばその真逆、他人に興味を示さない世捨て人傾向の方が強いと思っていたので意外だ。
私は一息吐くと、今ではだいぶ色褪せた遠い日の記憶をゆっくりと手繰り寄せた。
*****
どれほどの書物が私を【堪え性のない女たらし】と書いているのだろうか。
想像以上の風評被害に私は眩暈で倒れそうになった。
私なりに真摯な心持ちで答えたつもりだが、羊頭は不満げな表情を浮かべている。
……嘘でも書物にある通りのキャラを演じれば良かったのだろうか?
言い掛けた言葉を飲み込むと、羊頭はジロリと私を見つめる。
先程から羊頭の不機嫌度数が右肩上がりなのを私はひしひしと感じていた。
流石あのルシファーの愛弟子だ。
質問が直球過ぎる。
しかもその豪速の直球は、私目掛けて投げられた死球だ。
……玉砕した相手からのこの手の質問は、正直胸を抉られる。
しかし最後の質問だ、誠心誠意答えねばなるまい。
不意に羊頭の手の平が私の口を塞ぐ。
不機嫌を通り超し、御立腹顔の羊頭。
私の口元から手を放すと、くるりと寝返りをうった。
ふわふわモコモコの後頭部を私に向け、羊頭はこちらを見ようとはしなかった。
今の私よりほんの少し広いだけの華奢な背中が、これ以上の会話を拒絶している。
もはや掛ける言葉も見つからず、私もそのまま就寝せざるを得なかった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。