第5話

#5
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2019/03/21 09:54
彼への暴力が終わると、彼は二階にある部屋__恐らく、彼の部屋__に入っていった。
それに、私も付いて行く。
林田 夕稀
この匂い...
彼の部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、絵の具の匂いが私を包んだ。

私は彼の部屋を見回す。
林田 夕稀
わぁ...
誰も聞こえはしないけれど、私は思わず感動の声を上げた。


彼の部屋には、そこら中に絵、絵、絵。

その絵は全て、綺麗な水彩画だった。


きっと、彼が描いたのだろう。
林田 夕稀
なんか、以外...
いかにも、“スポーツ!”という感じの彼なのでこんな趣味があるのは以外だった。

それに、画家になれるのでは、と思うくらい繊細で綺麗なタッチだ。
遠坂 昴
...ごめん。林田さん。



───────ドクンッ!



心臓が飛び跳ねる。

私がいること、気付かれた?
踏み入れてはいけない彼の領域に、踏み入れてしまったこと、怒ってる?
林田 夕稀
あ、えっと、その、
林田 夕稀
ご、ごめんなさ──────



───────ビシャッ




突然彼は、黒い絵の具がべっとりと付いた筆を自分が描いたであろう絵に投げ付けた。

それで気付く。

私がいることは、まだ誰にも気付かれていない。
遠坂 昴
...
安心したのもつかの間、彼は無言で自分が描いたであろう絵を絵の具で黒く塗り潰していった。
林田 夕稀
え、ちょっと!
黒く塗り潰されていく絵は、全体的に綺麗な空色だった。
きっと、空と海を描いている。

そして、空と海が黒く染まってゆく。
林田 夕稀
やめて!
触れられるハズもないのに、私は一生懸命手を伸ばした。
林田 夕稀
もったいないよ!やめ......
..........へ?

無意識に、情け無い声がぽろっと出る。
林田 夕稀
え、え、え、え?
触れる。

私の伸ばした手は、空と海を黒く染める彼の手を掴み、止めていた。

物なら触れるということは分かっていたけれど、人に触れることは出来ないと思っていた。
彼の母親にも、触れなかった。
林田 夕稀
どうして...
遠坂 昴
林田、さん...?
林田 夕稀
......!?!?!?!!???!
彼は目を丸くしながら、私を見ている。
林田 夕稀
み、見えるの...?
遠坂 昴
え、あ、う、うん。そうみたい...。
彼は分かりやすく戸惑ってから、俯く。
遠坂 昴
見て、た...?
林田 夕稀
え?
遠坂 昴
虐待...
しっかりと見ていました。止めようとしました。

なんて、言えるわけがない。
林田 夕稀
た、たぶん。
可哀想だね。気付いてあげられなくてごめんね。

そんなこと、言える雰囲気じゃない。
遠坂 昴
そっかぁ。
彼はふっと笑う。

口元は笑っているけど、目が笑っていない。
苦しそうな目をしている。


顔には切り傷、腕には痣、足には湿布__きっと、打撲だろう__。

酷い。彼を見ているだけで、泣きそうになる。
林田 夕稀
学校、行かないの?
今日は平日。今は昼。普通なら、彼は学校にいる時間だ。
遠坂 昴
行かないというか、行けない。
遠坂 昴
俺がいないと、兄さんまで叩かれるから。
彼はまた、笑う。
林田 夕稀
お兄さん、いるんだね。
遠坂 昴
うん。大学生で、今は独り暮らししてる。
林田 夕稀
虐待のこと、お兄さんは知らないの?
遠坂 昴
うん。知らないし、知られたくない。
知られたくない。


それが彼の優しさだということを、私は理解する。


知れば、兄が傷付く。

兄には傷付いてほしくない。


きっと、彼はそう思っている。


彼は自分の優しさに気付いていない。
いつも無意識に人を助ける。

それが、彼にこびり付いた性格なのだ。


そんな人が何故、傷付かなければならないのだろう。

何故、彼なのだろう。

分からない。




















私はこの時、初めて思った。







彼に幸せになってほしい、と。

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