第46話

兄ちゃんの友達
4
2026/04/26 16:12 更新
スバルサイド

「次で終わり」

そう言って渡したポテチを、亮は不満そうな顔のまま口に入れた。

ぱり、と音がする。

食べてる間だけは、ほんの少し静かになる。

でも、目はまだ袋に残ってる。

テーブルの上にある大きいレジ袋。

中に残ってるお菓子。

冷蔵庫にしまったプリン。

亮の頭の中は、まだほとんどそこに引っ張られてる。

「おやつ」

「今終わり」

「ちゃう」

「終わり」

「おやつしよ」

「後で」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

「ぷりん?」

「プリンも後で」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

この確認を何回やったかわからへん。

亮は納得してない。

でも、完全に崩れてるわけでもない。

“終わり”って言葉に怒りながら、でも“後で”を何回も確認して、自分の中で何とか置こうとしてる。

「おやつ」

「後で」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

「にちゃん」

「なに」

「おやつ」

「後で」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

その繰り返しの横で、こうきが袋の口を閉じながら言う。

「なあすばる」

「ん?」

「これ、見えるとあかんやつ?」

「見えるとあかんやつやな」

「じゃあ隠す?」

「隠す」

「おっけー」

こうきはわりと素直に袋を持ち上げる。

こういうところは、ちゃんとわかる。

これはみんなで食べるもの。

今は一回終わり。

見えると亮くんがしんどくなる。

そこまでは入る。

でも、入ったら入ったで、今度はちょっと得意げになる。

「俺、隠す係するわ」

「頼むわ」

「どこ置く?」

「キッチンのカウンターの奥」

「奥な」

こうきが袋を持ってキッチンの方へ行く。

その動きを、亮が見逃すわけがない。

「にちゃん!!」

「なに」

「おやつ!!」

「隠すだけ」

「ちゃう!!」

「後で食べる」

「おやつ!!」

立ち上がりかける。

すぐ肩に手を置く。

「行かん」

「ちゃう!!」

「行かん」

「おやつ!!」

「おやつは後」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

こうきが袋を奥に置いて戻ってくる。

「置いたで!」

「ありがとう」

「これで見えへんやろ」

そう言った瞬間、亮がキッチンの方をじっと見る。

見えへんけど、ある場所は覚えた。

「……おやつ」

「後で」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

こうきが少し笑う。

「亮くん、ほんまにおやつ好きなんやな」

「めっちゃ好きやで」

「俺も好きやけど、亮くんには負けるわ」

「負けるな」

「負けたわ」

こうきはそう言って笑うけど、亮はその会話には入らない。

返事もしない。

ただ、俺に向かって確認だけする。

「にちゃん」

「なに」

「おやつ」

「後で」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

それをもう一回返したところで、少しだけ空気が変わる。

おやつの袋が視界から消えた。

亮の意識が、ようやく別の場所を探し始める。

うろうろする。

ソファの前を通る。

テーブルの横を通る。

でも、さっきほど走り出しそうな感じではない。

体はまだ落ち着いてへん。

けど、次に何かを探してる。

そのタイミングで、こうきがリビングの奥を見た。

「なあすばる」

「ん?」

「亮くんってさ、いつも何して遊んでんの?」

「遊び?」

「うん。家おる時」

「こっち」

リビングの奥を指差す。

「一応、奥をプレイエリアにしてる」

「プレイエリア?」

「プレイマット敷いてるとこ」

こうきが目を向ける。

「え、見てもいい?」

「ええで」

「ほんま?」

「ほんま」

「やった」

こうきはすぐ立ち上がる。

こういう時、動きが早い。

楽しいものを見つけた時の切り替えが早い。

リュックをソファの横に置いて、プレイマットの方へ歩いていく。

その瞬間、亮が反応した。

「にちゃん!!」

「なに」

「いく!!」

こうきの背中を見て、体が一気に前へ出る。

さっきまであれだけ距離を取ってたのに、動いてる相手には引っ張られる。

ただ、それは「こうきと遊びたい」やない。

自分の場所に知らん人が向かった。

自分のプレイエリアに人が行く。

何してるのか気になる。

それに近い。

「走らん」

「いく!!」

「歩く」

「いく!!」

ほぼ小走り。

でも、止めきるほどではない。

「ゆっくり」

「ちゃう!!」

「プレイマット行く」

「いく!!」

亮はこうきの後ろを追いかけるように、プレイマットへ入った。

初めて自分から距離を詰めた。

でも、まだ隣に並ぶわけじゃない。

こうきの後ろ少し離れたところ。

見える位置。

でも触れない距離。

こうきがプレイマットの前でしゃがむ。

「うわ」

本気で声が出た。

「なにこれ」

目の前には、おもちゃがかなりある。

ミニカー。

積み木。

音が鳴るやつ。

型はめ。

大きめのブロック。

ボタンを押すと光るおもちゃ。

ぷにぷにした感覚遊びの道具。

絵カードの束。

ぬいぐるみ。

電車のおもちゃ。

小さい太鼓。

亮が好きなもの、落ち着きやすいもの、手持ち無沙汰になった時に使えるもの、崩れた時に戻りやすいもの。

増えていった結果、だいぶ多い。

「すばる!」

こうきが振り返って呼ぶ。

「なに」

「すばるも来てや!」

「行く行く」

「これすごいで!」

「知ってる。家やからな」

「いや、でもすごいって!」

こうきの声が弾んでる。

軽度の知的障害があって、ダウン症の特性もあるこうきは、こういう“目で見てわかりやすく楽しいもの”には普通に興味を持つ。

子どもっぽいから、というだけじゃない。

色がある。

形がある。

触ったら音が鳴る。

押したら反応が返ってくる。

そういうものは、単純にわかりやすくて楽しい。

それに、こうきは人と関わることが好きや。

おもちゃそのものより、「これ見て」「これ何」「すばるも来て」「一緒に触って」が楽しい。

だから興味の向き方が、亮とは違う。

亮はおもちゃに向かう。

こうきは、おもちゃを通して人に向かう。

「すばる、これなに?」

こうきがカラカラ鳴るおもちゃを手に取る。

「振ったら音鳴るやつ」

「知ってる。鳴った」

「聞いてから聞くな」

「いや、すばるに言ってほしかってん」

「そういうことか」

こうきが振る。

カラカラ。

亮がぴたっと止まる。

音に反応してる。

でも近づきすぎへん。

こうきの手元を見る。

「これ、亮くん好きなん?」

「好きな日もある」

「日によるん?」

「日による」

「そっか」

こうきはそれを素直に受け取って、もう一回振る。

「カラカラやで」

亮は返事しない。

でも、じっと見てる。

「亮」

「なに」

「見るだけ?」

「……」

「見てるな」

「……にちゃん」

「おる」

「おる?」

「おる」

こうきはそのやり取りを聞いて、少しだけ笑う。

でも割り込まない。

「なあすばる」

「ん?」

「店開けるやん」

「何の店や」

「おもちゃ屋」

「無理やろ」

「いや、いけるって。これ、入り口に置いたら子ども来るで」

「来ても売らん」

「なんでや」

「亮のやから」

「じゃあレンタル」

「せえへん」

「けちやな」

「家やねん」

こうきは笑いながら、今度は大きめのブロックを手に取る。

「これ組むやつ?」

「そう」

「俺、これできるかな」

「できるやろ」

「いや、意外とむずいやつあるやん」

「これは簡単なやつ」

「じゃあできるわ」

こうきはブロックを二つ合わせようとする。

でも向きが違う。

「あれ」

「反対」

「反対?」

「そこ」

「ここ?」

「そう」

カチッとはまる。

「おお、できた!」

めっちゃ嬉しそうに言う。

「すばる、できたで!」

「見た」

「ちゃんと?」

「ちゃんと見た」

こうきはにこっと笑う。

この「ちゃんと?」は、こうきのやつや。

見てほしい。

褒めてほしい。

自分がやったことを共有したい。

亮の「ちゃんと?」とはまた違う。

亮のは、不安と確認が強い。

こうきのは、見て見てが強い。

同じ言葉でも、中身が違う。

その横で、亮がブロックをじっと見る。

「にちゃん」

「なに」

「これ」

ブロックを指さす。

「ブロック」

「する」

「ええで」

こうきが持っているブロックの方に、亮の手が伸びかける。

でも途中で止まる。

こうきが持ってるからや。

欲しい。

でも知らん人の手元にある。

それがまだ無理。

「亮、こっち」

同じブロックを別に一つ取って渡す。

「これ」

亮が受け取る。

すぐに自分の手元で触り始める。

こうきはそれを見て、ぱっと笑う。

「お、亮くんもブロックするん?」

亮は返さない。

でも、手は動いてる。

「聞いてへんようで聞いてるで」

俺が言うと、こうきが嬉しそうに頷く。

「じゃあ喋っとこ」

「喋りすぎたら逃げるで」

「え、逃げるん?」

「あるかもな」

「じゃあちょっとだけ喋る」

言った三秒後にはまた喋る。

「なあすばる、これほんま多いな」

「多いな」

「なんでこんなあるん?」

「増えた」

「増えたって、そんな簡単に増える量ちゃうで」

「好きなものとか、落ち着くものとか、いろいろ買ってたら増えた」

「すご」

こうきは感心したように周りを見る。

「俺んち、こんなあったら床見えへんわ」

「今でも見えてへん時あるやろ」

「まあな」

自分で笑う。

「でもさ、これだけあると選べてええな」

「選べるな」

「亮くん、選べるん?」

「選べる時もあるし、選べへん時もある」

「そっか」

こうきはまた素直に受け取る。

「俺も選べへん時あるわ」

「知ってる」

「コンビニ行ったら迷う」

「同じのばっか買うくせに」

「そうやねん。迷って結局同じやつ」

「それこうきらしいな」

「やろ」

こうきは今度、ぷにぷにした感覚玩具を触る。

「うわ、これ気持ちいい」

指で押して、戻る感覚を楽しんでる。

「これええな」

「それ亮好きやで」

「そうなん?」

こうきが触ったまま、亮の方を見る。

亮はそれをじっと見てる。

かなり見てる。

「亮くん、これ好きなんやって」

こうきが俺に言う。

直接言ってるようで、俺に言ってる。

そこが今のちょうどいい距離や。

「亮」

「なに」

「それ欲しい?」

「……」

亮は答えない。

でも目はそれ。

「欲しいな」

「……にちゃん」

「こうきが持ってる」

「……」

亮の手が少し動く。

でも止まる。

こうきが気づいて、すぐに俺を見る。

「すばる、これ渡してええ?」

「俺にちょうだい」

「はい」

こうきは俺に渡す。

俺が亮に渡す。

「はい」

亮が受け取る。

すぐに触る。

ぷに。

ぷに。

指に力が入る。

少しだけ表情が緩む。

「それ」

「……」

「好きなやつやな」

「……ちゃんと?」

「ちゃんと好きなやつ」

こうきが小さく笑う。

「俺から直接はまだ早いんやな」

「早いな」

「でも俺の持ってたやつ、亮くん触った」

「触ったな」

「それだけでもええな」

「ええ」

こうきは本当に嬉しそうやった。

無理に距離を詰めようとはしない。

でも、ちょっと繋がったことはちゃんと喜べる。

そこがこの子の良さやと思う。

「すばるも座ってや」

こうきがまた言う。

「立って見てんと、こっち来て」

「はいはい」

俺もプレイマットの端に座る。

すると、亮がすぐ俺の近くに寄ってくる。

こうきがいるから、俺を拠点にしたいんやと思う。

左側に亮。

少し離れた前にこうき。

三角形みたいな位置。

「にちゃん」

「なに」

「おる」

「おる」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

「ここ?」

「ここ」

亮はぷにぷにした玩具を持ったまま、俺の膝に少し寄る。

完全に乗りはしない。

でも、体が触れる距離。

こうきはそれを見て、にこにこしてる。

「亮くん、すばる好きやな」

「めっちゃ好きやで」

「わかるわ」

「何がや」

「俺もすばる好きやし」

「またそれ言う」

「だってほんまやもん」

亮がその言葉に反応したのか、少しだけ顔を上げる。

でも、すぐ玩具に戻る。

「にちゃん」

「なに」

「これ」

「ぷにぷに」

「ぷに」

「そう」

「ちゃんと?」

「ちゃんとぷにぷに」

こうきが横で笑う。

「ちゃんとぷにぷにって何なん」

「亮には大事やねん」

「そっか」

こうきは納得する。

ほんまに素直に。

「じゃあ俺もちゃんとぷにぷにしたわ」

「何の報告や」

「報告」

「はいはい」

こうきは次に、小さい太鼓を見つける。

「これ叩くやつ?」

「そう」

「叩いていい?」

「軽くな」

「軽く」

ぽん。

音が鳴る。

亮がびくっとする。

でも逃げはしない。

顔を上げる。

「おと」

「音やな」

「どん」

「太鼓」

「どん」

「そう」

こうきがそれを見て、少し声を落とす。

「これ、亮くんびっくりした?」

「ちょっとな」

「じゃあ小さくする」

ぽん。

さっきより小さい音。

「これくらい?」

「それくらい」

「おっけー」

こういう調整はできる。

自分が楽しいだけで突っ走る時もあるけど、人と一緒に楽しみたい気持ちが強いから、相手がびっくりするなら少し合わせようとする。

それがこうきや。

亮はまだ、こうきと一緒に太鼓を叩いたりはしない。

でも、音には反応してる。

こうきの手元を見る。

俺を見る。

また音を見る。

「にちゃん」

「なに」

「どん」

「太鼓やな」

「する?」

「する?」

「する?」

亮の言葉は疑問形やけど、これは「やりたい」や。

「やる?」

「する?」

「やろか」

太鼓を俺が持つ。

こうきがすっと手を引く。

「どうぞ」

ちゃんと譲る。

俺が亮の前に置く。

亮が指先でぽん、と叩く。

小さい音。

「できた」

「……できた?」

「できた」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

こうきが嬉しそうに言う。

「今の、亮くん叩いた?」

俺に向かって。

「叩いた」

「すげえ」

亮はこうきには返さない。

でも、その「すげえ」の声を聞いた後、ほんの少しだけ口元が動いた。

笑ったかどうかは微妙なくらい。

でも、動いた。

「なあすばる」

「ん?」

「これ、めっちゃ楽しいな」

「お前が一番楽しんでるやん」

「いや、ほんまに楽しい」

こうきは周りのおもちゃを見渡して、また言う。

「店開けるってほんま」

「まだ言うてる」

「いや、ここに値札つけたらいけるで」

「売らんって」

「じゃあ入場料取ろ」

「取らん」

「俺、常連なるわ」

「勝手に来るな」

「土曜日だけ」

「相談制な」

こうきは笑う。

亮は、その声にまた顔を上げる。

こうきの方を見る。

今回は、さっきより長い。

こうきも気づく。

でも、声をかけすぎない。

「見た?」

小さく俺に聞く。

「見たな」

「今の、見たよな」

「見た」

「やった」

こうきの顔がぱっと明るくなる。

その喜び方を見て、俺も少し笑う。

こうきは、亮が自分に何か返してくれたわけじゃなくても嬉しいんやと思う。

見た。

同じもの触った。

同じ音聞いた。

それだけで、ちゃんと喜べる。

「亮」

「なに」

「こうきおるな」

「……ひと」

「そう。人」

「……」

「ここおる」

「……にちゃん」

「おる」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

まだ名前にはならない。

それでええ。

今はまだ「人」。

「知らん人」から「ここにおる人」くらいになったら十分や。

こうきはまた別のおもちゃを手に取る。

「これなに?」

「それ電車」

「電車か!」

「走らせるやつ」

「線路あるん?」

「あるで」

「え、線路まであるん?」

「ある」

「ほんまに店やん」

「だから店ちゃう」

線路を出す。

こうきがめちゃくちゃ楽しそうに並べ始める。

でも途中で向きが合わなくて詰まる。

「あれ、これ繋がらん」

「逆」

「また逆?」

「また逆」

「俺、逆多いな」

「多いな」

「でもできるで」

向きを変えて、繋げる。

「できた!」

「できたな」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

亮が線路を見る。

電車を見る。

手が伸びる。

「でしゃ」

「電車」

「でしゃ」

「そう」

電車は亮の好きなものの一つや。

こうきがそれを聞いて、嬉しそうにする。

「亮くん、でしゃって言うん?」

「電車のことな」

「かわいいな」

亮は返さない。

でも、電車を手に取る。

線路の上に置く。

うまく乗らない。

「ちゃう」

「ここ」

俺が少し位置を直す。

「走るで」

「でしゃ」

「そう」

電車を押す。

ころころ。

亮が目で追う。

こうきも同じように見る。

二人とも、同じ電車を見てる。

それでも一緒に遊んでるとは言えへんかもしれん。

でも、同じものを見てる。

同じ動きを追ってる。

それだけで、さっきよりだいぶ近い。

「なあすばる」

「ん?」

「これ、俺も押してええ?」

「ええで」

こうきが少し離れたところから、別の電車を押す。

ころころ。

亮はその電車を見る。

一瞬、こうきの手も見る。

でも、取らない。

怒らない。

ただ見る。

「亮」

「なに」

「こうきも電車したな」

「……でしゃ」

「そう」

「……」

亮は自分の電車をもう一回押す。

ころころ。

こうきも押す。

ころころ。

同じ線路の上ではない。

まだ別々。

でも、同じマットの上で、同じ電車を押してる。

「すばる」

こうきが小さく呼ぶ。

「ん?」

「今、ちょっと一緒っぽくない?」

「ぽいな」

「ぽいよな」

「うん」

「やった」

こうきは嬉しそうに笑う。

亮は何も言わない。

でも、電車をもう一回押す。

ころころ。

それが答えみたいにも見えた。

「にちゃん」

「なに」

「でしゃ」

「電車やな」

「ちゃんと?」

「ちゃんと電車」

「こうき」

こうきの名前を言ったわけじゃない。

たぶん、俺がさっき言った音が残っただけ。

でも、口から出た。

ものすごく小さい声で。

「……こうき?」

こうきが目を丸くする。

俺はすぐに言う。

「今、音出たな」

「うん」

「名前としてわかってるかは別やで」

「わかってる」

こうきはそれでも嬉しそうや。

「でも今、言ったよな」

「言ったな」

「やば」

めちゃくちゃ嬉しそうに笑う。

亮は何事もなかったみたいに電車を押してる。

自分が何を言ったか、多分わかってない。

でも、それでええ。

こういうのは、偶然みたいに出てくる。

こっちが意味を決めすぎたらあかん。

ただ、出たことは拾う。

「亮」

「なに」

「でしゃ、する」

「でしゃ」

「するな」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

こうきが、さっきより少しだけ亮の近くに電車を置く。

近すぎない。

手が届くけど、触れなくてもいい距離。

「ここ置いていい?」

俺を見る。

「ええよ」

亮はそれを見る。

怒らへん。

取らへん。

ただ見る。

それだけで十分や。

「なあすばる」

「ん?」

「俺、ここ来てよかったな」

「まだ昼にもなってへんで」

「でも来てよかった」

「早いな」

「早いけど、よかった」

こうきは電車を見ながら言う。

「亮くん、まだ俺と遊んでへんけど」

「うん」

「でも同じとこおるやん」

「おるな」

「それでええな」

「ええ」

こうきはにこっと笑う。

その笑い声に、亮がまた顔を上げる。

こうきを見る。

今度は逃げるように逸らさなかった。

ほんの数秒。

それから、また電車に戻る。

「にちゃん」

「なに」

「でしゃ」

「電車」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

こうきが小さく、ほんまに小さく呟く。

「見てくれた」

俺は何も言わずに頷いた。

一緒に遊べてへん。

会話もできてへん。

でも、距離は確かに少し縮まってる。

今日のこの二人には、それで十分すぎるくらいやった。

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