彼女が動いたので、それに構っていた。なので掃除用具はほったらかしだ。もちろん血で赤く染まった水が入ったバケツだってそのまま。大雑把に掃除していたせいで、「廃墟にこびりついたような血痕」という表現が似合うほどに悲惨な状態の床は、本当に、たった今殺した死体を引きずったような感じだ。
血液を見ることができない白からしたら、まさに地獄絵図。文字通り卒倒するだろう。
そんなことを考えているうち、やはり俺と彼女を囲むカーテンのすぐ近く、入り口を一歩入ったあたりで悲鳴が聞こえた。
慌てた様子で、勢いよくカーテンが開かれる。
見慣れた奴が立っている。まぁ、見慣れているのは当たり前か。
俺の助手である白は、荒く肩で息をしながら瞳を震わせていた。
事細かに事情を話しても、混乱している彼には伝わらないと思い簡単に告げれば、動揺を隠すように自身の手首を掴んだ。
答えはすぐに返ってきたし、それが本当なのもすぐに分かった。カーテンレールの上、天井までの間にあるスキマから、アホが顔を出していたからだ。
声をかけても、やはり返事はない。コイツは喋ることができない...というか、絶望的に下手だ。
なので返事もなく、いつもはただただ医務室の天井付近を飛び回っているだけ。しかし今は機嫌が良くないのか、あまり近寄ろうとも飛び回ろうともしない。
腰辺りまで布団は被ったものの、頑なに横になろうとしなかった彼女の事を言っているようだ。
そう言ってすぐ、彼女...いや、彼はムッとしたような顔で声を張った。
相変わらず声は枯れていた。もちろん、俺も白も思考が一瞬停止した。
時が止まったみたいに、室内の空気は静まり返った。
彼女もひどく驚いた様子だった。アホは別に何も考えてなんていないだろうから、言葉の意味も理解しようとしていない。なので特段首を傾げたりだの不思議がる事はしなかった。
口々..と言ってもその場に喋れる奴は2人しかいなかったが、それでも上がる声は全て否定を表すものだった。
女と勘違いされた本人は、ひどくうなだれた様子で、包帯の巻かれた茎をだらんと力なく垂らした。
そんなに深刻なものなのか、とも思ったが、俺は女と勘違いされた事はなど無かったのでその気持ちは分からない。ただ、彼女...彼か。が呆れている様子から、日々こんな感じで勘違いされているようだ。
俺も謝った方がいいのか?いや...ここは傷の状態を知らせることが先だろう。そう思って、性別を間違えた点には触れずに話を進めた。
そんな会話をしながら、彼の腰辺りまで被せてあった布団を剥いだ。
名残惜しそうに布団を見つめる彼。抵抗はしなかった。
裂傷が酷かった腰、完全にぶっ飛んで繋がっていなかった脚、それぞれに包帯が巻いてある。とりあえず縫ったところを見せる為に、包帯も剥いだ。
白が小さく声を漏らす。そりゃそうだ。縫ってくっつけてあるとはいえ、まるまるぶっ飛んだ脚がくっつけられているワケで、まぁ言ってしまえばグロテスク。粉砕骨折の件もあって、縫い傷だらけ。ここは病院でもなんでもないのでできるのは簡単な処置のみ。手術だってできない。簡単に切って並べて縫い合わせて、ズレないように固定していただけだ。今は向こうも怪我人だか病人だかキチガイだかの処置に追われているとの連絡があったので、今から病院送りにもできない
だから向こうが空くまでこっちで面倒をみることになっているのだが、何故こんな重篤死に際チキンレース野郎をこっちに運び込んできたのかは謎だ。そこは連れてきた本人である青に聞くしかない。
ここは適当な処置室なので、あるものと言ったら応急処置の救急箱くらい。消毒液や軟膏、薬、点滴だのなんだの、絆創膏、脱脂綿、ピンセットとかの小物や刃物、包帯、ガーゼ、サージカルテープと湿布、添木、縫合用の針と糸、ライト、タオル、ティッシュ、冷凍庫、手袋、それと事務用品。本当にそれくらいしかない。ある程度の処置はできるが、それも全て応急処置用。こんな死に損ないが来るような場所じゃない。添木を戻して、包帯で元とおんなじように固定してやった。
...インプラントだとか手術台だとか、内視鏡だとか、そんなものはない。こんなに声が枯れるほど煙を吸ったのなら、一酸化炭素中毒だってあり得る....いや、コイツ赤ピクミンだ。そんな事はないか。とにかく、ここでできる事は応急処置。
「せんせーー」「どうしたの?」「転んだぁー」「そっか〜」軟膏ヌリヌリ
こんなことしかできない。
だから、それだけが本当に謎だ。
そんな風に考え込んでいれば、白が不思議そうに口を開く。
さぁ、どんな失礼な事を言うのか。そんな感じで期待の胸踊らせていた...ことはないが、どんな事だろうと思った。
彼の口から出てきたのは、思った通り、俺も疑問に思っていたことだった。
彼はバツの悪そうな顔をして、一歩後ずさった。
彼は笑った。
多分、俺がおんなじ事をきいていたとしても、彼は笑ったと思う。
場は再び静まり返る。
彼は続けた。
そのことに関しては大変興味のそそられる話だ。死ににくい身体、生き返るという事は自己再生や蘇生ができるということか?ときこうとしたところで、白が口を開く。
ぶっ飛んでくっつけられて、包帯でガッチガチにされた手をパチン!と合わせた。その衝撃が意外にも重かったんだろう。彼は顔を歪めた。
そう言って俺が点滴の減り具合を確認するためそっちの方に目をやれば、設定通りにちゃんと減っているようだ。針が刺さってるのが嫌で、自分で抜いてしまう分からずやのクソガキもいるのだが、コイツは少しだけ違うらしい。ただ横になっていないのは許さない。
顔も何針か縫ってあるため、あの反転目のバッテンは包帯で隠れている。そのことも話しておいた方がいいかと思い、白にそのことを伝えた。
未だ困惑を隠せない様子の白は、そのことを聞いてさらに不安だの興味だのが膨らんだようで、気晴らしだかなんだか知らんが席を立った。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ornithogalum_umbellatum_close-up2.jpg_
界 /植物界
階級なし /被子植物
階級なし /単子葉類
目 /キジカクシ目
科 /キジカクシ科
亜科 /ツルボ亜科
属 /オオアマナ属
種 /オオアマナ
学名 【Ornithogalum umbellatum】
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。